MY LIFE IS IN YOUR HANDS / KIRK FRANKLIN : GOD’S PROPERTY
全世界で愛されるゴスペル名曲中の名曲
ゴッズ・プロパティはカーク・フランクリンの作ったクワイアと思われがちですが違います。
ゴッズ・プロパティは、リンダ・レイ・ホール=サライトによって1992年にテキサス州ダラスで結成され、息子のロバート・スパット=サライトが共同プロデュースを始めた頃から急速に力をつけたクワイアです。
クワイアは1993年に同じテキサス州ダラスで活動していたカーク・フランクリンとの交流を始め、1995年の彼のアルバム『Whatcha Looking 4』に参加。
その後フランクリンは、1997年に Kirk Franklin’s Nu Nation としてクワイアのアルバム『God’s Property』をプロデュースし(スコット・”シャヴォニ”・パーカー、バスター・ボンド、ケヴィン・ボンドらによる共同プロデュース)、同アルバムは1998年のグラミー賞で最優秀ゴスペル・クワイア/コーラス・アルバム賞を受賞しました。
ラジオから大ヒットした「Stomp」に牽引されたこのアルバムは、約270万枚を売り上げ、ビルボードのゴスペル・チャートに71週間ランクインしました。2023年現在においても過去最も長くチャート・インしたゴスペル・アルバムとなっています。
My Life Is In Your Hands はこのアルバムの2曲目に収められており、当時ブラック・カルチャー・ムービーの旗手であったスパイク・リー監督の映画「ゲット・オン・ザ・バス」のエンディング・テーマとして非常に効果的に使用されました。
ゴッズ・プロパティはその後、カーク・フランクリンとレコード会社を相手に訴訟を起こします。双方の言い分がありますが結局のところお金の配分の問題です。「歌った人」ではなく「曲を作った人」にほとんどの権利があるシステムをゴッズ・プロパティが理解せずに契約を結んだことでトラブルになったようです。この訴訟が長引いたことでカークはしばらくの間、My Life Is In Your Hands や Stomp などの楽曲をテキサス州では演奏しなかったようです。
最近ではジョージア州アトランタ発の新進気鋭ゴスペル集団「Maverick City Music」とのコラボが有名です。この集団が通常のクワイアと異なるのは、アーティスト、プレイヤーによって作られたグループではなく、まず100人以上のソングライターが参加した「ソングライティング・キャンプ」によって集められた100曲以上の楽曲が先に出来て、それを管理するレーベルが発足、その後に歌い手が集められるというプランニングによって出来た面白い集団です。
無理矢理歌詞解説
この歌詞解説は、「こう解釈すべきだ」というようなものではなく、BEE校長が長年の興味として行っている 1行ごとに聖句に照らし合わせてみたら、そこには個別の意味が存在するんじゃないかという「検証」です。 これによりサティマイのメンバーさんが曲を歌う時の「景色」や「色」に繋がればいいなと思い書いています。
しかし、主よ。私はあなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」私の時は、御手の中にあります。(詩篇31篇13節―15節)
You don’t have to worry And don’t you be afraid
心配する必要はありません、恐れることもありません
「何も思い煩うことなく、あらゆることを、祈りと願いと共に、感謝して神に申し上げなさい。」(フィリピの手紙4章6節)
この歌詞は、困難な状況にもかかわらず、心配せずに信頼と希望を保つことの重要性を強調しています。フィリピの手紙は、神への信頼を通じて内なる平和を得ることを教えています。
Joy comes in the morning Troubles, they don’t last always
朝には喜びが訪れます、悩みはいつまでも続かない
「夜は涙と共にあっても、朝には喜びが来る。」(詩篇30編5節)
試練や困難は一時的なものであり、神の恵みによって喜びがもたらされることを約束しています。詩篇は、苦しみの後に来る神の救いと喜びを讃えています。
For there’s a friend in Jesus Who will wipe your tears away
イエスというあなたの涙を拭い去ってくれる友がいます
「もはやあなたがたをしもべとは呼ばない。しもべは主人が何をしているのか知らないからだ。しかし、わたしはあなたがたを友と呼んだ。」(ヨハネの福音書15章15節)
イエス・キリストが単なる救い主でなく、個人的な友人としての関係を提供することを示しています。ヨハネの福音書は、イエスが信者たちを友として愛し、彼らの苦しみを共有することを強調しています。
And if your heart is broken Just lift your hands and say
そして、もし心が傷ついていたら、手を上げて言ってください
聖書の具体的な一節はここには直接関連しませんが、一般的に祈りと信仰の表現として解釈できます。
心が痛む時、神に対して自分の苦しみを明かし、祈りを捧げることで、慰めと癒しを求めることができるという信仰の力を表しています。祈りは、信者にとって困難な時に希望と力を与える重要な行為です。
Oh, I know that I can make it
ああ、私は乗り越えられる
「わたしには力を与えてくださる方によって、わたしは何事もすることができる。」(フィリピの手紙4章13節)
神への信頼と自身の信念を表しています。フィリピの手紙は、どんな状況でも神が与える力を通じて乗り越えることができるという強い信念を示しています。
I know that I can stand
私は必ず立ち上がることができる
「神は忠実であり、あなたがたが耐えられる以上の試練に会わせることはありません。試練と共に、それに耐える力も備えてくださいます。」(コリントの第一の手紙10章13節)
どんな試練にも耐える力を神が与えるという信仰の表現です。コリントの手紙は、神が信者に試練を超える力を与えることを教えています。
No matter what may come my way
行く手にどんなことが起ころうとも
「あなたがたはこの世で苦しみに遭うでしょう。しかし、勇気を持ちなさい。わたしはこの世に勝利しました。」(ヨハネの福音書16章33節)
信仰を持つ者が直面する困難や挑戦にもかかわらず、神の勝利を信じることの重要性を示しています。ヨハネの福音書は、イエス・キリストが世の困難に打ち勝ったことを強調しています。
My life is in your hands
私の人生はあなたの御手の中にあります
「わたしの時はあなたの手の中にあります。」(詩篇31編15節)
神への全面的な信頼と委ねを表しています。詩篇は、個人の運命や人生の方向性が神の手の中にあるという信仰を示しています。
So when the tests and trials May seem to get you down
試練や困難があなたを落ち込ませるかもしれない時には
「多くの患難を通って、神の国に入るべきです。」(使徒の働き14章22節)
人生の試練や困難が信仰の旅において避けられないものであることを示唆しています。使徒の働きでは、信仰を持つ者が経験する試練が最終的には神の国への道を開くと教えています。
And all your friends and loved ones Are nowhere to be found
あなたの友人や愛する人たちがどこにもいない時には
「わたしの親しい友も、わたしの災いを見て、遠く離れて立っています。」(詩篇38編11節)
困難な時には時として人は孤立してしまうことを表しています。詩篇は、苦境にある時、最も親しい人々が離れてしまうことの孤独感を表現しています。
Remember, there’s friend in Jesus Who will wipe your tears away
覚えておいてください、あなたにはイエスという涙を拭い去ってくれる友がいます
「もはやあなたがたをしもべとは呼ばない。しもべは主人が何をしているのか知らないからだ。しかし、わたしはあなたがたを友と呼んだ。」(ヨハネの福音書15章15節)
イエス・キリストが信者にとって真の友であり、彼らの苦しみを共有し、慰めを与えることを示しています。ヨハネの福音書では、イエスが信者たちを友として愛し、彼らの苦悩に同情することを強調しています。
投稿者
kingbee33@gmail.com