CALLING MY NAME / HEZEKIAH WALKER
東京11月、博多10月 関西2024年1月 課題曲
ヘゼカイア・ウォーカーの「Calling My Name」は、悔い改めと神の赦しという深いテーマを反映した力強いゴスペルソングです。この歌詞は、私たちがどんなに短所や罪を持っていても、神はまだ私たちを呼んでおり、赦しと愛を提供しているということを表しています。このコンセプトは、様々な聖書の箇所に深く根ざしています。
例えば、1ヨハネ1章9節には、「もし私たちが自分の罪を告白するならば、神は忠実で正しく、私たちの罪を赦し、すべての不義から私たちをきよめてくださいます」とあります。この節は、悔い改めて神のもとに来る人々に対して、神が赦しを与える準備ができていることを強調しています。
また、イザヤ書43章1節には、「しかし、今、あなたを創造した主、あなたを造ったイスラエルの神はこう言います。『恐れることはない、私はあなたをあがない、あなたの名を呼んで、あなたは私のものだ』とあります。この箇所は、神が各個人との個人的な関係を求めており、名前を呼んでいることを強調しており、ウォーカーの歌にも反映されています。
これらの聖書の参照は、私たちの不完全さにもかかわらず、愛と赦しを持って絶えず私たちに手を差し伸べる神の個人的で思いやりのある性質についての歌のメッセージを強調しています。
無理矢理歌詞解説(和訳)
この歌詞解説は、「こう解釈すべきだ」というようなものではなく、BEE校長が長年の興味として行っている 1行ごとに聖句に照らし合わせてみたら、そこには個別の意味が存在するんじゃないかという「検証」です。 これによりサティマイのメンバーさんが曲を歌う時の「景色」や「色」に繋がればいいなと思い書いています。
[Verse 1]
How many times do I go against Your will
Then You forgive me, but yet I still
Turn around and do the things
The things I shouldn’t do
‘cause I belong to You
And I know You will come through
Lord, I know, I take advantage of grace
Here in this Christian race;
But yet I still hear You calling my name
「How many times do I go against Your will, Then You forgive me」という歌詞は、先ほど言及した1ヨハネ1章9節などの聖書の教えに響きます。この聖句は、罪を告白すれば神は常に赦しを与えてくださることを信者に保証しています。
「Lord, I know, I take advantage of grace, Here in this Christian race」という一節は、使徒パウロの恵みに関する教えを思い起こさせます。例えば、ローマ6章1-2節では、「では、何と言うべきか。恵みが増えるために、私たちは罪を犯し続けてよいのだろうか?断じてそうではない!私たちは罪に対して死んだ者なのだから、どうしてそれに生き続けることができようか?」と述べられています。この箇所は、恵みを受けることと、それを乱用しない責任の間の微妙なバランスを強調しています。
「But yet I still hear You calling my name」というフレーズは、ルカ15章4-7節にあるイエスの迷える羊のたとえ話に関連づけられます。このたとえ話では、羊飼いが99匹の羊を残して一匹の迷った羊を探しに行く様子が描かれており、どれだけ遠くに迷い出ても、個々人を絶えず呼び戻す神の不屈の追求を表しています。
How many times will it take for me to learn
That it’s only in Your will, I’ll ever earn
I’ll ever earn my life’s reward;
The honor due to me, life eternally
Riches in glory
Lord, I know, I know I don’t belong
With You ‘cause I’ve done wrong;
But yet I still hear You calling my name
「How many times will it take for me to learn, That it’s only in Your will, I’ll ever earn, I’ll ever earn my life’s reward」という歌詞は、神の意志を求めることの重要性に関する聖書の教えを反映しています。例えば、マタイによる福音書6章33節には、「まず神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて加えて与えられます」とあります。この節は、神の意志を優先することが最終的な報酬につながることを強調しています。
「The honor due to me, life eternally, Riches in glory」という一節は、例えばマタイによる福音書5章12節の「喜びなさい、喜び楽しめ。あなたたちの報酬は天において大きい」という箇所に関連づけることができます。これは、真の名誉や富はこの世のものではなく、神との永遠の生命にあるというキリスト教の信念を強調しています。
「Lord, I know, I know I don’t belong, With You ‘cause I’ve done wrong; But yet I still hear You calling my name」というフレーズは、神の恵みの本質を美しく捉えています。自分の不適切さや過ちを認めつつも、神がまだ自分を呼んでいることに気づくのです。これはエペソ人への手紙2章8-9節、「恵みによって、信仰を通して救われているのです。これは自分から来たものではなく、神の賜物です。誰も誇ることがないように、行いによるのではありません」という箇所を思い出させます。この節は、救済と神への属することが私たちの行為に基づくのではなく、神の恵みに基づくという考えを再確認しています。
これらの歌詞とそれに対応する聖書の参照は、信仰の旅において、神の意志を理解し受け入れ、自分の短所を認め、私たちに与えられた恵みを評価することが中心的なテーマであることを強調しています。
How many times do I go against Your will
Then You forgive me, but yet I still
Turn around and do the things
The things I shouldn’t do
‘cause I belong to You
And I know You will come through
Lord, I know, I know I don’t belong
With You ‘cause I’ve done wrong;
But yet I still hear You calling my name
「You’re calling my name to come into Your arms, To be safe from fear and harm」は、神が避難所であり保護者であるという聖書のテーマを反映しています。これは詩篇46:1、「神はわれらの避け所、力、悩みのときにいつもいらっしゃる助け」と似ており、神の意志に沿うことで見出される安全と平和を強調しています。
「Knowing this but I still choose to go my way, And You still say, You say, that I am He, He who supplies Your every need」という歌詞は、神の摂理を認識しつつも自己依存を選ぶ葛藤を描いています。これは、フィリピ人への手紙4:19、「わたしの神は、その栄光の富によって、キリスト・イエスにあってあなたがたのすべての必要を満たしてくださるでしょう」というメッセージを反映しており、信頼する者に対する神の供給の約束を強調しています。
「Oh, Lord, I’ve sinned but You’re still calling my name」というフレーズは、神の恵みと赦しの本質を捉えています。罪を認めつつも、神が依然として呼びかけているという認識は、無条件の愛と慈悲への強力な証となります。この感情は、ルカによる福音書15章11-32節の放蕩息子のたとえ話に沿っており、帰還する者に対して神が提供する無限の赦しと受け入れを示しています。
全体として、「Calling My Name」のこれらの歌詞は、人間の不完全さと神聖な恵みとの間の継続的な対話を美しく描いており、私たちの短所にもかかわらず、神の絶え間ない呼びかけと不変の愛を強調しています。
文責:Wooly (オフィスノイズ・スタッフ)
投稿者
kingbee33@gmail.com
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