大人の為の部活系ゴスペルSatisfy My Soul(サティマイ)です。大阪中津・豊中・神戸元町・京都・博多天神・東京高田馬場・名古屋で練習しています♪

More than I can bear / Kirk Franklin

ゴスペル・スタディ

Nu Nation Project 期の名作

Bee校長による詩的表現を加えてますのであしからず・・・

I’ve gone through the fire
焼けつく炎の中に呑まれ
And I’ve been through the flood
荒れ狂う洪水に幾度となく翻弄されるうちに
I’ve been broken into pieces
わたしの心は粉々に砕かれた
Seen lightnin’ flashin’ from above
空は(闇に包まれ)閃光が走るのが見える・・・

But through it all I remember
でもそんな苦しみの中でもわたしははっきりと覚えている
That He loves me
それは神様はわたしを愛していて
And He cares
ちゃんと見てくれているということ
And He’ll never put more on me
そして神様は決して耐えられないほどの
Than I can bear
重荷(試練)をわたしに背負わせないということ

I said Never put more on me
絶対に背負わせない
No no Never put more on me
絶対絶対背負わせない
Unh unh Never put more on me
絶対に背負わせない

Never His word said He won’t
神さまの言葉がそう言うんだから!!
I believe it
だからわたしは(この状態の中)それを信じる
I recieve it
そして迷わず受け入れる
I claim it
心の軸とし、主張する

It’s mine
それらすべては(苦しみも喜びも救いも)わたしだから与えられたもの
No he’ll never
神様は絶対
Put more on me
わたしが負えないほどの試練を
Than I can bear
与えることはしない!!

試練の中にあっても信じ切る姿勢こそが神の望む姿

サティマイではこの曲のストーリーとしては、「地獄の業火」や「息をすることも許されないような洪水」、そして「暗雲に覆われた中で雷鳴が轟く情景」によって表現された過酷な現実から最終的には神さまが私たちを救い出してくださった・・・というハッピー・エンドの設定とします。ですのでクワイアの歌唱表現はシリアスなものから最後の一節だけは喜びに満ちたものへと大きく変化させます。

しかし!!この曲でサティマイが一番重きを置くテーマは、私たちが否定的な状況から救われた後の喜びによる賛美や礼拝ではなく、逆に人生でもっとも悪い時を過ごしているとき、私たちが歯を食いしばりながら「神は私たちが耐えられる以上のものを私たちに負わせることは決してない」と最後まで信じ切る姿だと考えます。

勝利に至るまでのすべての出来事に私たちがどう反応し、対処するか?
そして最後まで信仰心を杖とし、神を信じ切る姿勢こそが、神様がもっとも満足される部分だと思います。
ですので私達サティマイは練習の時に、前半の過酷な現実に対し、向き合う姿を「音色」で表現するよう試行錯誤しています。

この曲が突きつけるのは現実の過酷さと、その過酷さを認めた者に与えられる信仰という名の杖

カーク・フランクリンはヒップ・ホップを取り入れた斬新なサウンドでアーヴァン・コンテンポラリー・ゴスペルという革命を起こしました。そのインパクトが強すぎて陰に隠れがちですが、彼の歌詞には、それまでのゴスペル・ソングには無かったような生々しい表現力があります。

この曲の歌詞は、わたしたちの人生とは現実的には落胆や失望の連続であることを認める部分から始まります。
この曲のメッセージの柱となる「神は私たちが耐えられる以上のものを私たちに負わせることは決してない」という言葉を私たちが心の支えとして必要とするのは、決して上手く行ってる時ではありません。

絶望の淵にあって、これしかすがるものがない時こそ、疑いなき神への信仰が生まれることをこの曲は語っています。その時こそが、救われるときであり、生まれ変わるときだからです。

何をやってもうまく行かない人、ふとした気の緩みや油断、そして悲しい誤解などから関係性のボタンをかけ違えてしまったときには多くの人が離れていき、この歌詞にあるように心はバラバラになってしまいます。そしてはじめはそのことが受け入れられずに自己弁護の言い訳ばかりをしてしまいより多くの人を失います。2016年の僕が今思えばそうでした・・・。

しかし、神様だけは離れません。それどころかあなたがどう現実を認めるのかを見てくれています。あなたが少しずつ自分の行いを認め、そして少しずつ悔い改めていくのを神様だけは見守ります。失った人間関係が戻ることはありませんが、神は新しい生き方と新しい立ち位置、そして昔よりは少ないですが大切な仲間を与えてくれます。そして「それで十分であること」を毎日の小さな出来事を通して教えてくれます。

あなたはただそのことだけを信じれば良いのです。いまあなたが苦しいと感じるなら、神様があなたに新しい命をくれるときかも知れません。あなたは大いなる恵みを与えられます!!

God Bless You !!