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詩篇 34:18 「主は打ちひしがれた者の近くにおられる、精神を折られた者を救われる。」

ゴスペル・スタディ

打ちのめされた時、あなたの隣には誰がいるか?

私たちの日常生活は、人間関係の中でさまざまな感情を味わう場所でもあります。職場でのトラブル、友人とのすれ違い、家族間の軋轢。これらの中で、誰もが一度は打ちのめされ、心の中で傷を負ってしまうことがあるでしょう。今日は、そんな時に立ち寄りたい、詩篇 34:18という聖書の言葉をご紹介します。

「主は打ちひしがれた者の近くにおられる、精神を折られた者を救われる。」

この言葉を初めて聞いた時、私は「ほんまかいな…」と思いました。しかし、日常の人間関係の中で感じる孤独や無力感を考えると、この言葉の意味が深く心に響きます。

例えば、職場で上司や同僚との間に摩擦が生じ、自分の意見や思いを正直に伝えられずにいると、内心では打ちのめされたように感じることがあります。また、友人との間に起こった些細なトラブルや誤解が原因で、心が離れてしまったと感じることもあるでしょう。これらの経験は、私たちの精神を折るような出来事となりえます。

詩篇 34:18の言葉は、そんな心の中での闘いや痛みを抱えている時、私たちの隣には神がいてくれることを示しています。私たちが打ちのめされて、誰にも相談できないような時でも、神は私たちの近くにあり、私たちの心の痛みを理解してくれる存在として私たちを救ってくれるのです。

この言葉は、神が私たちのすべての経験や感情を知っており、私たちがどれほど打ちのめされても、その傷を癒してくれる存在であることを示しています。それは主イエス自身が神でありながらも地上でのその生涯の中で、私達の日常におこる様々な辛さ・・例えば「迫害」「孤独」「親しい人たちからの裏切り」「身体的・精神的苦痛」を味わっておられ、その辛さを私たち以上に知っておられるからです。エーメン!

日常の人間関係の中で感じる辛さや悩みを乗り越えるためには、自分自身の中での闘いを乗り越える力が必要です。しかし、その力は一人で持っているものではありません。詩篇 34:18の言葉には、そんな時に私たちの隣に神がいてくれること、そして神が私たちの心の痛みや悩みを理解してくれることが示されています。

私たちの日常生活の中で、人間関係の辛さや悩みに打ちのめされることは避けられません。しかし、そのような時に、詩篇 34:18の言葉を思い出し、神が私たちの隣にいてくれることを信じることで、私たちは新しい力を得ることができるでしょう。ハレルヤ!