No Fear / Daryl Coley
公民権運動の母「ローザ・パークス女史」に捧げられたトリビュート・アルバムに収められた名曲
全体として、この曲の核にある聖句は 2 Timothy 1:7 です。
恐れに支配されるのではなく、神から来る「力・愛・健全な心」によって、尊厳をもって前に進む。
「信仰、勇気、非暴力の尊厳、公正を求める歩み」というローザ・パークス女史の生きざまに照らし合わせた素晴らしいゴスペル曲をグラミー受賞歌手 ダリル・コーリーが歌い上げます。
ローザ・パークス女史について

ローザ・パークス女史は、アメリカ公民権運動の象徴的な人物です。特に有名なのは、1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリーのバスで、白人乗客に席を譲るよう求められたとき、それを拒んだ出来事です。この行動がきっかけとなり、黒人市民による大規模なバス・ボイコット運動が始まりました。
当時のアメリカ南部には、ジム・クロウ法と呼ばれる人種隔離制度がありました。学校、トイレ、レストラン、バスなど、日常生活の多くの場面で白人と黒人が分けられていました。バスでは、白人用の席が優先され、黒人乗客は後方に座るよう求められることが多く、白人席が足りなくなると黒人が席を譲らされることもありました。
ローザ・パークスは、ただ「疲れていたから座り続けた人」と誤解されることがあります。もちろん仕事帰りで疲れてはいましたが、彼女自身は後に、本当に疲れていたのは身体ではなく、屈服し続けることに疲れていたのだという趣旨の言葉を残しています。つまり、あの行動は偶然の反抗ではなく、不正に対する静かで意志ある抵抗でした。
彼女が逮捕された後、黒人市民たちはモンゴメリーのバスを利用しない運動を始めました。これが モンゴメリー・バス・ボイコット です。この運動は約1年続き、若き牧師 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア が指導者として全国的に知られるきっかけにもなりました。最終的に、1956年、連邦最高裁の判断により、バスでの人種隔離は違憲とされました。
この曲のメッセージで大切なのは、ローザ・パークスの行動が「怒りにまかせた反抗」ではなく、尊厳、信念、勇気、そして非暴力の抵抗として語られていることです。彼女は大声で叫んだわけではありません。暴力で戦ったわけでもありません。ただ、不正な扱いに対して「これ以上は従わない」と静かに立ちました。
Daryl Coley の “No Fear” がローザ・パークスへのトリビュートとして歌われているなら、そこにある “no fear” は、単に「怖くない」という意味だけではありません。
それは、恐れがあっても尊厳を失わず、神から与えられた力と信仰によって前に進む、という意味に近いです。
ローザ・パークス女史は、後に “the mother of the civil rights movement”、つまり「公民権運動の母」と呼ばれるようになりました。彼女の一つの静かな行動が、多くの人々に「自分たちも立ち上がれる」という勇気を与えたからです。
歌詞和訳&聖書照会
Fear is designed to stop you in your tracks / It keeps you from moving forward and it keeps you stepping back
恐れは、あなたをその場に立ち止まらせるように働く / 前に進ませず、後ろへ下がらせようとする
Joshua 1:9
“Have not I commanded thee? Be strong and of a good courage; be not afraid, neither be thou dismayed: for the LORD thy God is with thee whithersoever thou goest.”
「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。」
Psalm 23:4
“Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil: for thou art with me…”
「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです…」
この部分では、「恐れ」は人を躊躇させると描かれています。これは単なる個人的な不安だけでなく、不正や差別の前で恐れから声を上げることが躊躇われる状況にも重なります。公民権運動までの長い間、黒人の人たちは理不尽な人種差別に対して声を上げることが出来ませんでした。それはなぜか?声を上げること自体が「命の危険」に直結する時代だったからです。聖書では、恐れがなくなる理由は「自分が強いから」ではなく、「神が共におられるから」と語られます。
But the spirit God has given empowers you with boldness and faith / So in confidence, march forward with dignity and grace
しかし神が与えてくださった霊は、あなたに大胆さと信仰を与える / だから確信をもって、尊厳と恵みをまとい前へ進もう
2 Timothy 1:7
“For God hath not given us the spirit of fear; but of power, and of love, and of a sound mind.”
「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」
Micah 6:8
“…what doth the LORD require of thee, but to do justly, and to love mercy, and to walk humbly with thy God?”
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」
ここは曲の中心的なメッセージに近い部分です。神が与える霊は、人を縮こまらせるものではなく、「力」「愛」「慎み/健全な思い」を与えるものだと2テモテは語ります。
“march forward” という表現は、公民権運動の行進も連想させます。ただ怒りに任せて進むのではなく、“dignity and grace”――尊厳と恵みをもって進む、というところがとてもゴスペル的です。正義を求めながらも、憎しみに飲まれない姿勢が表れています。
Be encouraged, for the world He overcame / Giving you this promise, we can do the same
励まされなさい。主は世に勝たれたのだから / その約束を受けて、私たちも同じように乗り越えられる
John 16:33
“These things I have spoken unto you, that in me ye might have peace. In the world ye shall have tribulation: but be of good cheer; I have overcome the world.”
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」
Romans 8:37
“Nay, in all these things we are more than conquerors through him that loved us.”
「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」
“the world He overcame” は、モロにヨハネ16章33節。イエスは「この世では悩みがある」と現実を否定しません。でも同時に、「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」と語ります。
この曲では、その勝利が信仰者に勇気を与える約束として歌われています。Rosa Parksの物語と重ねると、不正な社会の力がどれほど大きく見えても、それが最後の景色ではない、という希望の宣言として響きます。
For God has not given us the spirit of fear / But love and power and a strong mind
神が私たちに与えたのは恐れの霊ではなく / 愛と力、そして強い心である
2 Timothy 1:7
“For God hath not given us the spirit of fear; but of power, and of love, and of a sound mind.”
「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」
ここは2テモテ1章7節をほぼそのまま歌詞にした部分です。英語聖書では “sound mind” と訳される言葉が使われ、「冷静さ」「健全な判断」「自制心」のようなニュアンスを持ちます。
つまり、聖書が語る「恐れない心」は、ただ強気になることではありません。愛があり、力があり、同時に落ち着いた判断力がある状態です。これは、非暴力で尊厳を保ちながら抵抗したRosa Parksの姿ともよく重なります。
With faith and grace, we can endure all things / For in Him we stand, no fear, no fear
信仰と恵みによって、私たちはすべてを耐え抜くことができる / 主にあって立つから、恐れはない、恐れはない
Philippians 4:13
“I can do all things through Christ which strengtheneth me.”
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」
Ephesians 6:13
“Wherefore take unto you the whole armour of God… and having done all, to stand.”
「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」
「恐れがない」という宣言が、単なる感情ではなく信仰の立ち位置として歌われています。“in Him we stand” は、キリストにあって立つ、神の力によって踏みとどまる、という聖書的な表現です。
“we can endure all things” はピリピ4章13節を思い出させてくれます。(フレッド・ハモンドもこのへんを歌にするのが大好きですよね。)これは「何でも自分の思い通りにできる」という意味ではなく、困難の中でも神に支えられて耐え抜ける、という意味で読むと歌詞にしっくり来ます。
When fear comes upon you, it tends to paralyze / Stealing visions for tomorrow and hopes yet unrealized
恐れがあなたを襲うとき、それは人を動けなくさせる / 明日へのビジョンや、まだ実現していない希望を奪ってしまう
Proverbs 29:25
“The fear of man bringeth a snare: but whoso putteth his trust in the LORD shall be safe.”
「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」
Psalm 27:1
“The LORD is my light and my salvation; whom shall I fear? the LORD is the strength of my life; of whom shall I be afraid?”
「主はわたしの光、わたしの救である、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでである、わたしはだれをおじ恐れよう。」
この部分では、恐れが単なる感情ではなく、人の未来への視野や希望を奪う力として描かれています。箴言29章25節の「人を恐れると、わなに陥る」という言葉とよく響き合います。恐れは人を守る働きもありますが、実は自由に動く力を縛ってしまうことがあります。ゴスペルの多くは、その縛りから解放するものとして、神への信頼が歌われます。
But the spirit God has given causes you to stand strong and tall / Be the victor, not the victim, conquering problems great or small
しかし神が与えてくださった霊は、あなたを強く、堂々と立たせる / 被害者としてではなく勝利者として、大きな問題も小さな問題も乗り越えさせる
2 Timothy 1:7(大事な部分なのでもう一度)
“For God hath not given us the spirit of fear; but of power, and of love, and of a sound mind.”
「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」
Romans 8:37
“Nay, in all these things we are more than conquerors through him that loved us.”
「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」
Ephesians 6:13
“…that ye may be able to withstand in the evil day, and having done all, to stand.”
「…悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるためである。」
ここでも中心にあるのは2テモテ1章7節です。神が与える霊は、人を萎縮させるものではなく、立ち上がらせるものです。“stand strong and tall” は、エペソ6章の「堅く立つ」というイメージにも重なります。
“Be the victor, not the victim” は、ローマ8章37節の「勝ち得て余りがある」とつなげてみましょう。現実に傷つけられた経験により「敗者・被害者」となることがあっても、それがその人の最終的なアイデンティティではない、という信仰の宣言として読むことができます。
Be encouraged, for the world He overcame / Giving you the promise, you can do the same
励まされなさい。主は世に勝たれたのだから / その約束を受けて、あなたも同じように乗り越えられる
John 16:33
“These things I have spoken unto you, that in me ye might have peace. In the world ye shall have tribulation: but be of good cheer; I have overcome the world.”
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」
1 John 5:4
“For whatsoever is born of God overcometh the world: and this is the victory that overcometh the world, even our faith.”
「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。」
この部分は大好きなのでもう一度触れますね。このリフレインは、ヨハネ16章33節を強く反映しています。イエスは「この世では悩みがある」と言いながらも、「勇気を出しなさい」と励まします。つまり、信仰は問題の存在を否定するものではなく、問題に飲み込まれないための土台です。
“you can do the same” は、自力で世界に勝つというより、キリストの勝利に支えられて、恐れや困難に打ち勝って歩める、という意味で受け取ると自然です。Rosa Parksへのトリビュートとして考えると、社会の圧力や不正の中でも、尊厳を失わずに立ち続ける勇気への呼びかけとして響きます。
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投稿者
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