大人の為の部活系ゴスペルSatisfy My Soul(サティマイ)です。大阪中津・豊中・神戸元町・京都・博多天神・東京高田馬場・名古屋で練習しています♪

1980年代のシカゴ・ゴスペル

スタディルーム

1. ゴスペルの起源とシカゴへの伝来

ゴスペル音楽はアメリカの黒人コミュニティーに根付いた宗教音楽であり、アフリカ系アメリカ人の苦悩や信仰を表現する手段として誕生しました。19世紀には奴隷制度下で黒人コミュニティーによって歌われ、20世紀初頭になると黒人教会で重要な役割を果たすようになりました。

シカゴへのゴスペル音楽の伝来は、南部の黒人コミュニティーからの移民によって始まりました。1920年代から1930年代にかけて、多くのアフリカ系アメリカ人が南部からシカゴへと移住し、都市部での新たな生活を築いていきました。彼らはゴスペル音楽を持ち込み、シカゴの黒人コミュニティーで広めることとなります。

2. シカゴの黒人ゴスペルの発展

シカゴでは、ゴスペル音楽が独自の発展を遂げました。地元の教会やゴスペルグループが、伝統的なゴスペルのスタイルを受け継ぎながらも、新たな要素を取り入れて音楽を進化させました。シカゴのゴスペルは、豊かなハーモニー、独自のリズム、そして感情豊かな歌声で特徴づけられました。

シカゴでは他の地域と比べてゴスペル・クワイア(合唱団)が大流行したのが特徴的でした。ゴスペルクワイアは、伝統的なゴスペルグループに比べてより多くのメンバーや楽器を持ち、大規模なパフォーマンスを行うことが一般的でした。

3. シカゴのゴスペル音楽の影響力

1980年代のシカゴのゴスペル音楽は、黒人コミュニティーにとって強力な文化的アイデンティティーであり、精神的な支えとなっていました。ゴスペルは黒人教会の礼拝やイベントにおいて重要な役割を果たし、コミュニティーの結束を高める手段として機能しました。

また、シカゴのゴスペルは音楽業界においても重要な存在でした。多くのゴスペルアーティストがレコード契約を結び、アルバムをリリースしました。さらに、ゴスペルの影響力はポップカルチャーにも及び、シカゴ出身のゴスペルアーティストたちがメディアで広く認知されました。

4. ゴスペルの転換期

1980年代は、ゴスペル音楽の転換期でもありました。伝統的なゴスペルスタイルに対して、新たなサウンドや要素を取り入れる試みが増えてきました。この時代には、ゴスペルにフュージョンやR&Bの要素(展開コードやゴスペル・チョップスと呼ばれるシンコペーションを多用したキメなど)を取り入れる試みが増え、より多様な音楽スタイルが生まれていきました。

5. ゴスペルの次世代

1980年代は、シカゴのゴスペル音楽が新たな次世代に引き継がれる時期でもありました。70年代に大活躍した「Milton Brunson & Thompson Community Singers」は黒人の青年層の為のコミュニティ・センターを建設する目的で結成され、その後は多くのアーティストやソング・ライターに活躍のきっかけを与えたシカゴを代表するグループでした。

その流れの中、新しいゴスペルアーティストたちが台頭し、伝統的なゴスペルのスタイルを受け継ぎながらも、新たなエッセンスを加えていきました。特にシカゴという街は、常に次の世代を育成するためのユース・プログラムが考えられており、その結果としてNew Direction や Joshua’s Troop といった若手のクワイアが存分に活躍できる土壌が生まれました。

彼らはシカゴのゴスペル音楽の伝統を受け継ぎながら、新たな時代の要求に応える音楽を創り出していきます。