AMAZING GRACE (My Chains Are Gone) / CHRIS TOMLIN
“Amazing Grace”は、1779年に公開されたキリスト教の讃美歌で、1772年に英国聖公会の聖職者で詩人であったジョン・ニュートンによって書かれました。この讃美歌は、ニュートンが奴隷貿易業者としての悲惨な職業からの改心を感謝して書かれたものです。この讃美歌は、アフリカ系アメリカ人の奴隷とその子孫の希望の歌となり、最終的に世界中で愛されるようになりました。特にアメリカ合衆国では、宗教的および世俗的な目的の両方で使用される非常に人気のある讃美歌です。
ジョン・ニュートンは、1725年にロンドンのワッピング地区で生まれました。彼の父はカトリックとして育てられたがプロテスタントに共感を持つ船の商人であり、母は独立派の熱心な信者でした。彼女はニュートンが聖職者になることを望んでいましたが、彼が6歳の時に結核で亡くなりました。その後、海で父が不在の間、ニュートンは感情的に遠い継母によって育てられました。11歳で彼は船に乗り込み、反抗的で命知らずの海洋キャリアを始めました。
ニュートンの人生は、非常に乱れた若者時代を経て、奴隷貿易業者としてのキャリアを築きました。しかし、彼の精神的な転換点は、1748年3月10日の冬の暴風雨の中で起こりました。彼は、彼が甲板から離れた直後に彼に取って代わった乗組員が海に吹き飛ばされるのを見て、何年ぶりかで初めて祈りました。船がアイルランドに到着する頃、彼はもはや「無神論者」とは考えていませんでした。彼は宗教文学と聖書を読み始め、自分の行いを深く反省しました。
ニュートンは、1750年にポリー・キャトレットと結婚し、1756年からリバプールで税関職員として働き始めました。彼は自らラテン語、ギリシャ語、神学を学び、教会コミュニティに没頭しました。その情熱は、彼が英国聖公会の聖職者になることを友人たちに提案させるほどでした。
“Amazing Grace”の歌詞は、ニュートンが1773年の元日に説教した旧約聖書のテキスト、すなわちダビデ王の祈りに基づいています(歴代誌上17:16-17)。彼はこの作品を「信仰のレビューと期待」と題しました。元々は教育的な目的で書かれたものですが、年月が経つにつれて、この讃美歌はニュートンが想像した以上の意味を持つようになりました。
“Amazing Grace”がアメリカで初めて歌われたのは不明ですが、”Olney Hymnal”は1787年と1790年に再版され、19世紀を通じて様々な設定で歌われました。1835年にウィリアム・ウォーカーの「Southern Harmony」で初めて「New Britain」という曲に設定され、今日では不変のものとされています。
20世紀には、ニュートンの愛された讃美歌は、教会の賛美歌から世俗的な霊歌へと再び設定が変わりました。1947年12月10日、マヘリア・ジャクソンがアポロ・レコードのために「Amazing Grace」を録音し、ラジオで放送され、この讃美歌を一般の意識に移しました。
その後の数十年で、この讃美歌はあらゆるジャンルのアーティストによって広く録音されました。All Music Guideは、”Amazing Grace”をトラックの一つとしている200枚以上のアルバムをリストアップしています。この讃美歌は、深く激しい国民的悲しみの時に常に登場します。恐らくそれは、この曲自体が単なる「曲」ではなく、深い悲しみや喜びの時の「祈り」として人々の間に浸透しているからでしょう。
自由と解放に焦点を当てた新しいAMAZING GRACE
“Amazing Grace (My Chains Are Gone)”は、2006年にリリースされたクリス・トムリンの楽曲です。この曲は、伝統的な讃美歌”Amazing Grace”のメロディーに新しい歌詞を付け加えています。トムリンは、元の”Amazing Grace”のメッセージに現代的な解釈を加え、特に神の恵みによる解放と自由を強調しています。
オリジナルの”Amazing Grace”がジョン・ニュートンの個人的な改心の体験と神の恵みに基づいていたのに対し、”Amazing Grace (My Chains Are Gone)”は、個々の信者が経験する霊的な自由と解放に焦点を当てています。この曲では、「My chains are gone, I’ve been set free. My God, my Savior has ransomed me.」というコーラスが繰り返され、神の恵みによって信者が罪と過去から解放されるというテーマを強調しています。
トムリンのバージョンは、多くのクリスチャン音楽ファンによって受け入れられ、現代のキリスト教音楽の中でも特に人気のある楽曲となりました。彼の解釈は、古典的な讃美歌に新しい命を吹き込み、新しい世代の信者にも響くようになっています。この曲は、多くの教会や集会で賛美歌として歌われるほか、数多くのアーティストによってカバーされています。
無理矢理 歌詞解説(和訳)
この歌詞解説は、「こう解釈すべきだ」というようなものではなく、BEE校長が長年の興味として行っている 1行ごとに聖句に照らし合わせてみたら、そこには個別の意味が存在するんじゃないかという「検証」です。 これによりサティマイのメンバーさんが曲を歌う時の「景色」や「色」に繋がればいいなと思い書いています。
Amazing grace, how sweet the sound
驚くべき恵み、なんて甘美な響き
エペソ書 2:8「神の恵みによって、信仰により救われています。」
キリスト教の教義における「恵み」という概念を称賛しています。恵みは、人間が自分の力で得ることのできない神の無償の贈り物とされ、信仰を通してのみ受け入れられるものとされています。
That saved a wretch like me
私のような惨めな者を救った
ティモテへの手紙一 1:15「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。そのことは確かで、全ての人が受け入れるべきことです。そして私は罪人の中でも最たる者です。」
罪人である人間が神の恵みによって救済されるというキリスト教の教えを反映しています。この表現は、罪の自覚とともに、救いの必要性を強調しています。
I once was lost, but now I’m found
かつては迷っていたが、今は見つかった
ルカの福音書 15:24「この息子は死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかった」
解説: この行は、迷いから回復し、神によって再び導かれたことを表しています。ルカの福音書に登場する放蕩息子のたとえ話と関連があり、失われたものが見つかる喜びを表現しています。
Was blind, but now I see
かつては盲目だったが、今は見える
ヨハネの福音書 9:25「かつて私は盲目でしたが、今は見えます。」
この行は、物理的な盲目だけでなく、霊的な盲目からの癒しを象徴しています。ヨハネの福音書にあるイエスによる盲目の人の癒しの物語は、霊的な洞察力と真理を理解する能力を得ることを象徴しています。
‘Twas grace that taught my heart to fear
恵みが私の心に恐れを教えた
ローマ人への手紙 2:4「神の恵みの豊かさ、寛容と忍耐を知らず、神の恵みがあなたを悔い改めに導くのです。」
この行は、神の恵みが人を罪の自覚へと導き、神に対する敬虔な恐れを育むことを示しています。ローマ人への手紙では、神の恵みが悔い改めと霊的成長のための手段であることが強調されています。
And grace my fears relieved
そして恵みが私の恐れを和らげた
フィリピ人への手紙 4:7「神の平和が、すべての理解を超えて、あなたたちの心と思いをキリスト・イエスにあって守ります。」
神の恵みが不安や恐れを和らげ、平和をもたらすという教えを表しています。フィリピ人への手紙では、信仰によって得られる平和が強調されています。
How precious did that grace appear
その恵みがいかに尊いか
ペテロの手紙一 1:7「あなたがたの信仰は、火で精錬される金よりもはるかに貴重です。」
神の恵みの価値と重要性を讃えています。ペテロの手紙では、信仰が試練を通じて精錬され、その価値が金以上であると表現されています。
The hour I first believed
初めて信じた時
ヨハネの福音書 20:29「イエスは言われた、『見ないで信じる者は幸いです。』」
この行は、信仰を受け入れた瞬間の重要性と変化を強調しています。ヨハネの福音書では、見ることなく信じることの価値とその信仰による祝福が述べられています。
My chains are gone, I’ve been set free
私の鎖はなくなり、自由にされました
ローマ人への手紙 6:18 「そして、罪から解放され、義の奴隷とされました。」
この歌詞は、罪や過去の束縛から解放されたキリスト教徒の喜びを表しています。ローマ人への手紙6章18節は、罪からの解放と、義への新たな奴隷(奉仕)状態について語っており、キリストによる救済が人々を罪の鎖から解き放つことを象徴しています。
My God, my Savior has ransomed me
私の神、私の救い主が身代金を払って救ってくれました
マタイによる福音書 20:28 「人の子は来たが、仕えられるためではなく、仕えるため、そして多くの人のために自分の命を身代金として与えるためである。」
ここでの「身代金を払う」という表現は、イエス・キリストが人類の罪のために自らを犠牲にし、信者を救うために死んだことを指しています。マタイによる福音書20章28節では、イエス自身がこの使命について語っており、キリスト教徒はこれを救済の根本的な行為と捉えています。
And like a flood His mercy reigns
そして洪水のように彼の慈悲が支配します
詩篇 36:5 「主よ、あなたの慈しみは天に及び、あなたの真実は雲に届く。」
「洪水のように」という表現は、神の慈悲が圧倒的で、限りなく広がっていることを象徴しています。詩篇36篇5節では、神の慈しみと真実が計り知れないほど大きいことが歌われており、神の恵みがどれほど深く、広がっているかを示しています。
Unending love, amazing grace
終わりなき愛、驚くべき恵み
エフェソ人への手紙 2:4-5 「しかし、神は豊かな慈悲を持ち、私たちを愛してくださる大きな愛によって、私たちが罪の中で死んでいたとき、キリストによって生かされました—あなたがたは恵みによって救われています。」
この歌詞は、神の無限の愛と、それによってもたらされる救いの恵みを讃えています。エフェソ人への手紙2章4-5節では、神の慈悲と愛が強調され、それによって信者が罪から救われると説かれています。この恵みは、人間の努力によるものではなく、純粋に神の愛に基づいています。
The Lord has promised good to me
主は私に善を約束されました
ヘブライ人への手紙 10:23 「彼が約束された方は忠実ですから、希望の告白を固く持ち続けましょう。」
この歌詞は、神が信者に対して善を約束したことを述べています。ヘブライ人への手紙10章23節では、神の忠実さと信者が持つべき希望の告白について語られています。神の約束は信頼できるものとされ、それに基づく希望が信者にとって大切であることが強調されています。
His word my hope secures
彼の言葉が私の希望を確かなものとします
詩篇 119:81 「あなたの言葉によって私は希望を持ちます。」
この部分では、神の言葉が信者の希望を支えるという考えが示されています。詩篇119篇81節は、神の言葉に対する深い渇望と希望を表現しており、信者は神の言葉によって慰めと導きを受けると教えています。
He will my shield and portion be
彼は私の盾であり、私の分け前となるでしょう
詩篇28:7「主は私の力、私の盾。私の心は主に信頼する。私は助けられ、心から喜ぶ。」
この行は、神が信者の保護者であり、すべてを与える方であるという信仰を表しています。詩篇28篇7節では、神が力と盾であると述べられており、信者は神に対する信頼と喜びを持つことが示されています。
As long as life endures
命が続く限り
詩篇 104:33 「私は生きている限り主に歌い、私が存在する限り私の神に賛美を捧げます。」
ここでの「命が続く限り」という表現は、信者の一生涯にわたる神への忠誠と賛美を意味しています。詩篇104篇33節では、生涯を通じて神に賛美を捧げることが述べられており、信者の生涯にわたる信仰の表明となっています。
The earth shall soon dissolve like snow
大地は間もなく雪のように溶け去るでしょう
ペテロの手紙二 3:10 「しかし、主の日は盗人のように来る。その日には、天は大きな音を立てて過ぎ去り、天体は燃え尽き、地とその中にある業も焼き尽くされる。」
この歌詞は、世界の最終的な終わりと、全てが変わることを表しています。ペテロの手紙二3章10節は、世界の終末について説明しており、天と地が大きく変わる様子を描いています。この変化は突然に起こり、全てを一新するものとされています。
The sun forbear to shine
太陽は輝くことを控えるでしょう
黙示録 21:23 「その町には太陽も月も必要ない。神の栄光が町を照らし、その灯りは小羊である。」
この部分は、太陽がもはや必要でなくなる未来を指しています。黙示録21章23節では、新しいエルサレムが神の栄光によって照らされることが述べられており、太陽や月の光が不要になることを示しています。これは、神の存在がすべてを超越することを象徴しています。
But God who called me here below
しかし、ここ下界に私を呼んだ神は
エフェソ人への手紙 4:1 「そこで私は、主に捕らえられた者として、あなたがたに勧めます。あなたがたが召された召しにふさわしく歩みなさい。」
神が人々をこの世に呼び出し、特定の目的のために生きるよう求めていることを示しています。エフェソ人への手紙4章1節では、信者が神によって召され、その召しにふさわしい生き方をするよう勧められています。
Will be forever mine
永遠に私のものとなるでしょう
ローマ人への手紙 8:38-39 「私は確信しています。死も、生も、天使も、支配者も、現在のことも、未来のことも、力も、高さも、深さも、その他どんな被造物も、私たちを主イエス・キリストの愛から分かつことはできない。」
神との関係が永遠で変わらないことを表しています。ローマ人への手紙8章38-39節では、どんな状況でも信者がキリストの愛から離れることはないという強い確信が表現されています。これは、神の愛が絶対的で不変であることを示しています。
投稿者
kingbee33@gmail.com