What a Friend we have in Jesus / いつくしみ深き [讃美歌 312番]
What a Friend we have in Jesus,
我らのイエスは何と素晴らしい友であることか、
All our sins and griefs to bear
我らの罪と悲しみをすべて担ってくださる。
「まことに彼は、我々の病を負い、我々の痛みを担った。」(イザヤ53:4)
イエスは私たちの友であり、私たちが背負う罪や悲しみをも担ってくださる存在です。旧約聖書のイザヤ書では、メシアが私たちの痛みや病をも引き受けてくれると預言されています。私たちが抱える苦しみは、イエスの愛によって軽減され、彼に委ねることで心の重荷を取り除くことができます。
What a privilege to carry
すべてを神への祈りに持っていくことが何と特権であることか。
Everything to God in prayer
すべてを神への祈りに持っていけるのだ。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)
祈りを通して、すべてを神に委ねることは、私たちに与えられた大きな特権です。ピリピ書では、どんな悩みや願いも神に託すよう勧められています。神にすべてを委ねることで、心配や不安から解放され、感謝の心で神に接することができます。この特権を通じて、私たちは神との深い交わりを得ることができるのです。
O what peace we often forfeit,
ああ、我らはどれほどしばしば平安を失っていることか、
O what needless pain we bear,
ああ、どれほど不必要な痛みを背負っていることか。
「平和の神が、すべての理解を超えた神の平安で、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださいますように。」(ピリピ4:7)
私たちは、祈りによって神にすべてを委ねることを忘れてしまうと、神が与えてくださる平安を失いがちです。その結果、自分で解決しようとすることで、余計な苦しみや悩みを背負うことになります。ピリピ書は、神の平安が私たちの心と思いを守ってくださると約束しています。祈りを通じて神に信頼し、心の重荷を神にゆだねるとき、理解を超えた平安が私たちの内に満ちるのです。
All because we do not carry
すべては、我らがそれを神への祈りに持っていかないからだ。
Everything to God in prayer
すべてを神への祈りに持っていけばいいのに。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。」(詩篇55:22)
多くの苦しみや不安は、私たちがそれを神に委ねず、自分で抱え込んでしまうことから生じます。詩篇は、私たちが重荷を主にゆだねるべきであると教えています。神は私たちの祈りを聞いておられ、どんなに小さなことでも祈りを通して神に託すことができます。祈りによって、私たちは心の重荷を神に任せ、平安と力を受け取ることができるのです。
Have we trials and temptations?
我らには試練や誘惑があるだろうか?
Is there trouble anywhere?
どこかに悩みがあるだろうか?
「この世では困難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
私たちの人生には試練や誘惑、悩みが必ず訪れます。しかし、ヨハネの福音書では、イエスがすでに世に打ち勝ったと語られています。この勝利によって、私たちも勇気を持って困難に立ち向かうことができます。試練に遭遇したときには、祈りを通して神の助けを求め、困難を乗り越える力と平安をいただくことができるのです。
We should never be discouraged,
決して落胆してはならない、
Take it to the Lord in prayer.
それを主に祈りで持っていきなさい。
「あなたの思い煩いを、すべて神にゆだねなさい。神があなたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5:7)
どんな困難や失望に直面しても、私たちは落胆する必要はありません。神は私たちを心配してくださっており、私たちの悩みや苦しみを引き受けてくださいます。1ペテロの手紙は、すべての思い煩いを神にゆだねるよう勧めています。祈りを通して神に向かうことで、私たちは勇気と力を得ることができ、どんな困難にも立ち向かえるのです。
Can we find a friend so faithful
すべての悲しみを分かち合ってくれる、こんなに忠実な友を見つけることができるだろうか?
Who will all our sorrows share?
誰が我らの悲しみをすべて分かち合ってくれるだろうか?
「人がその友のために命を捨てるという、これより大きな愛は誰も持っていません。」(ヨハネ15:13)
イエスほど忠実で、私たちの悲しみや苦しみを分かち合ってくれる友はいません。ヨハネの福音書で、イエスは友のために命を捨てるほどの愛を示しました。この深い愛と犠牲は、どんな時でも私たちを支え、慰めてくれる力となります。イエスはいつでも私たちのそばにいて、私たちの重荷を共に担ってくださる忠実な友です。
Jesus knows our every weakness,
イエスは我らのすべての弱さを知っておられる、
Take it to the Lord in prayer.
それを主に祈りで持っていきなさい。
「私たちの大祭司(イエス)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、あらゆる点で私たちと同じように試みにあわれたのです。」(ヘブル4:15)
イエスは私たちの弱さや欠点を深く理解し、共感してくださいます。ヘブル書は、イエスが人間としての試練や誘惑を経験し、私たちと同じ苦しみを知っていることを教えています。だからこそ、私たちはどんな弱さや悩みでも、祈りを通じて主に打ち明けることができます。イエスは私たちの痛みを理解し、慰めと助けを与えてくださるのです。
Are we weak and heavy-laden,
我らは弱く、重荷を負っているだろうか、
Cumbered with a load of care?
心配の重荷に押しつぶされているだろうか?
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
人生の中で、私たちは時に重荷や心配に押しつぶされ、疲れ果ててしまうことがあります。しかし、イエスはそんな私たちに「わたしのもとに来なさい」と優しく呼びかけ、休息を与えてくださいます。弱さや重荷を感じたときこそ、イエスに心を開き、すべての思い煩いを委ねることで、心に平安を得ることができるのです。
Precious Savior, still our refuge—
尊い救い主よ、今も我らの避け所、
Take it to the Lord in prayer;
それを主に祈りで持っていきなさい。
「神は我らの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。」(詩篇46:1)
イエスは私たちの尊い救い主であり、どんな状況でも変わらずに私たちの避け所でいてくださいます。詩篇は、神が私たちの力であり、苦しむときの助けであることを強調しています。困難や試練に直面したとき、イエスに祈りを捧げることで、私たちは安心して心の安らぎを得ることができます。神は決して私たちを見捨てず、いつでも避け所となってくださるのです。
Do thy friends despise, forsake thee?
友があなたを軽蔑し、見捨てるだろうか?
Take it to the Lord in prayer;
それを主に祈りで持っていきなさい。
「わたしがあなたと共にいるので、恐れてはならない。わたしの神があなたの神であるので、たじろいではならない。わたしがあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手であなたを守る。」(イザヤ41:10)
たとえ友が私たちを見捨てたり軽蔑したりしても、イエスは決して私たちを見捨てることはありません。神は常にそばにいて、私たちを強め、助け、守ってくださるのです。この歌詞は、人間関係で感じる孤独や裏切りの痛みを、祈りを通じて神に委ねるように励ましています。神にすべてをゆだねるとき、私たちはどんな困難も乗り越える力を得ることができるのです。
In His arms He’ll take and shield thee,
主の腕の中で、あなたを抱き守ってくださる、
Thou wilt find a solace there.
そこであなたは慰めを見いだすだろう。
「主はその羽であなたを覆い、あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり砦である。」(詩篇91:4)
神の腕に抱かれるとき、私たちはどんな危険や試練からも守られ、平安と慰めを得ることができます。詩篇は、神が翼で私たちを覆い、安全な避け所として守ってくださると約束しています。私たちが困難に直面したとき、イエスに心を開き、その守りと愛に身を委ねることで、心に安らぎと癒しを感じることができるのです。神は常に私たちを守り、慰めを与えてくださる避け所です。
投稿者
kingbee33@gmail.com