Wade In The Water / Spirituals, Trad
曲の背景
「Wade in the Water」は、アフリカ系アメリカ人の伝統的な歌で、もともとアメリカの奴隷だった黒人によって作られ、歌われました。
この歌の歌詞は、1901年にフィスク・ジュビリー・シンガーズというグループが歌った新しい歌集に初めて載せられました。この歌集を出版したのは、ナッシュビルにあるフィスク大学の教師であるジョン・ウェスリー・ワーク・ジュニアと彼の兄フレデリックです。彼らは長年にわたり、このような歌を集めて広める活動をしていましたが、この歌自体はそれよりもっと前から存在しています。
1925年には、サンセット・フォー・ジュビリー・シンガーズというグループが「Wade in the Water」を商業的に初録音し、パラマウント・レコードから発売しました。
現在、この歌はアンダーグラウンド・レイルロード(地下鉄道)という、奴隷制の時代に奴隷を自由へと導いた秘密のネットワークと関連付けられています。歴史上有名な人物であるW.E.B. デュボイスは、この歌が属するジャンルを「悲しみの歌」と呼び、これをアフリカ系アメリカ人の特別な贈り物とし、アメリカの霊的な遺産だと評価しました。
* 地下鉄道とは、19 世紀に米国で確立された秘密のルートと隠れ家のネットワークで、奴隷にされたアフリカ系アメリカ人が自由州 (つまり、奴隷制を認めていない州) に逃げ、そこからカナダに渡るために使用されました。
歌詞和訳&解説
Wade in the water; wade in the water, children; wade in the water
水の中を渡りなさい、水の中を渡りなさい、子どもたちよ、水の中を渡りなさい
God’s gonna trouble the water
神様が水を動かされる
ヨハネの福音書 5:4(英語)
“For an angel went down at a certain season into the pool, and troubled the water: whosoever then first after the troubling of the water stepped in was made whole of whatsoever disease he had.”
(日本語)
「主の使いが時々池に降りてきて水を動かすので、水が動かされたときに最初に入る者は、どんな病気であっても癒された。」
この歌は、自由を求める希望と信仰の象徴であり、特にアフリカ系アメリカ人の霊歌(スピリチュアルソング)の中で深い意味を持っています。「水を動かす」という表現は、聖書の場面と結びつき、奇跡的な癒しや救いを象徴しています。
上にも書きましたが、この歌が歌われた背景の一つに、地下鉄道(逃亡奴隷たちを助ける秘密ネットワーク)の合図として使われたという説があります。歌詞は、信じる者に神の奇跡が訪れることを教えてくれるものです。「水に入る勇気を持つなら、神様が動かれる」というメッセージは、困難に直面している人々に「行動を起こす信仰」を促すものです。
私たちも人生で不安や困難に直面することがありますが、この歌詞は、信じて一歩踏み出すことで、神様や人生の力が働き、道が開けるという希望を思い出させてくれます。
See that host all dressed in white, God’s gonna trouble the water.
白い衣をまとった群衆が見えますか、神様が水を動かされる。
The leader looks like the Israelite. God’s gonna trouble the water.
その指導者はイスラエルの民のように見えます、神様が水を動かされる。
黙示録 7:13–14(英語)
“Then one of the elders answered, saying to me, ‘Who are these arrayed in white robes, and where did they come from?’ And I said to him, ‘Sir, you know.’ So he said to me, ‘These are the ones who come out of the great tribulation, and washed their robes and made them white in the blood of the Lamb.'”
(日本語)
「すると、長老の一人が私に答えて言った。『白い衣を着ているこの人々は誰ですか。また、どこから来たのですか。』私は彼に言った。『主よ、あなたがご存じです。』すると彼は私に言った。『彼らは大きな患難を通ってきた者たちで、子羊の血でその衣を洗い、白くしたのです。』」
出エジプト記 14:21–22(英語)
“Then Moses stretched out his hand over the sea; and the Lord caused the sea to go back by a strong east wind all that night, and made the sea into dry land, and the waters were divided. So the children of Israel went into the midst of the sea on the dry ground, and the waters were a wall to them on their right hand and on their left.”
(日本語)
「モーセが海の上に手を差し伸べると、主は強い東風をもって一晩中海を引かせ、海を乾いた地に変えられた。水は分かれて、イスラエルの人々は海の真ん中を乾いた地を歩いて渡り、左右に水の壁があった。」
歌詞に登場する「白い衣をまとった群衆」は、黙示録の「大患難を通り抜けてきた者たち」を連想させます。彼らは苦難の末に救いを受けた象徴的な存在であり、信仰の勝利を表しています。また、「指導者がイスラエルの民のように見える」という部分は、出エジプト記におけるモーセを思い起こさせます。彼は神の導きによって紅海を分け、イスラエルの民を救った指導者でした。
この歌詞は、苦難を通して勝利を得る信仰と、神が歴史を通じて示してきた解放の力を称えています。私たちの人生でも、目の前の「海」が越えられない壁に見えることがあります。しかし、信仰を持つなら、神様は私たちの前に道を開き、困難を乗り越える助けを与えてくださいます。白い衣は純潔と希望の象徴でもあり、私たちもまたその群衆の一員として、信仰の道を歩んでいけることを思い起こさせてくれるでしょう。
See that band all dressed in red, God’s gonna trouble the water.
赤い衣をまとった一団が見えますか、神様が水を動かされる。
Looks like the band that Moses led. God’s gonna trouble the water.
それはモーセが導いた一団のように見えます、神様が水を動かされる。
出エジプト記 15:1(英語)
“Then Moses and the children of Israel sang this song to the Lord, and spoke, saying: ‘I will sing to the Lord, for He has triumphed gloriously! The horse and its rider He has thrown into the sea!'”
(日本語)
「そのときモーセとイスラエルの子らは、この歌を主に向かって歌い、こう言った。『主に向かって歌おう。主は大いなる勝利をおさめられた。馬と乗り手を海に投げ込まれたのだ。』」
出エジプト記 12:7(英語)
“And they shall take some of the blood and put it on the two doorposts and on the lintel of the houses where they eat it.”
(日本語)
「その血を取って、それを食べる家の、戸口の柱と鴨居につけなさい。」
ここはあんまり自信はないけど「赤い衣をまとった一団」は、象徴的に「血」を思わせるものであり、イスラエルの民が出エジプトの際に子羊の血をドアの柱に塗って救いを受けたことを示唆している可能性があります。また、これはモーセの指導によってエジプトから救い出され、紅海を渡ったイスラエルの民を指しているとも解釈できます。
モーセに率いられた民は、神の導きによって絶望的な状況から解放され、自由を手にしました。紅海を渡る際には、神が奇跡的に水を分け、彼らを安全に渡らせたのです。この出来事は、神の救いの力と信仰の重要性を象徴しています。
赤い衣は、犠牲、救い、解放を象徴しています。私たちの人生においても、試練の中で神様の救いを求める時、モーセに率いられた一団のように、困難を超えた先にある自由を信じて歩むことができます。この歌詞は、神様が私たちのために水を動かし、新しい道を切り開いてくださるという力強い希望を伝えています。
If you don’t believe I’ve been redeemed, God’s gonna trouble the water.
私が贖われたと信じられないなら、神様が水を動かされる。
Just follow me down to Jordan’s stream. God’s gonna trouble the water.
ヨルダン川の流れに私と一緒に行きなさい、神様が水を動かされる。
マタイの福音書 3:13–17(英語)
“Then Jesus came from Galilee to John at the Jordan to be baptized by him. And John tried to prevent Him, saying, ‘I need to be baptized by You, and are You coming to me?’ But Jesus answered and said to him, ‘Permit it to be so now, for thus it is fitting for us to fulfill all righteousness.’ Then he allowed Him. When He had been baptized, Jesus came up immediately from the water; and behold, the heavens were opened to Him, and He saw the Spirit of God descending like a dove and alighting upon Him. And suddenly a voice came from heaven, saying, ‘This is My beloved Son, in whom I am well pleased.'”
(日本語)
「そのとき、イエスはガリラヤからヨハネのところに来て、ヨルダン川で彼にバプテスマを受けようとされた。しかし、ヨハネはそれを引き止めて言った。『私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが私のところに来られるのですか。』しかし、イエスは答えて言われた。『今はそうさせてください。このようにして、すべての義を成就することが私たちにはふさわしいのです。』そこで、ヨハネは彼に言われたとおりにした。イエスがバプテスマを受けて水から上がられると、見よ、天が開け、神の御霊が鳩のように下ってイエスの上に来られるのをご覧になった。そして、見よ、天から声があってこう言った。『これは私の愛する子、私の心にかなう者である。』」
この歌詞は「贖い」や「バプテスマ」(洗礼)の象徴的な意味を含んでいます。ヨルダン川は聖書において、悔い改めや新たな始まりの場として重要な意味を持っています。特に、イエスがヨルダン川で洗礼を受けた場面は、信仰者が新しい命を歩み始める決断を象徴しています。
「贖われる」という言葉は、罪からの救いを意味します。自分の信仰や新しい人生を他者に証明するのではなく、「ヨルダン川」に一緒に行こうと招くことで、神の働きを体験するよう勧めています。この姿勢は、行動や実際の経験によって信仰を示すことの大切さを教えてくれます。
私たちも、他者に信仰を示すことが求められる場面で、言葉以上に、愛や行動を通して神様の贖いを表現することができます。そして、神が「水を動かす」その奇跡を目撃した時、信仰は深まり、周りの人にも希望を与えるでしょう。
投稿者
kingbee33@gmail.com