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SPEAK LIFE / JOE PACE & COLORADO MASS CHOIR

ゴスペル・スタディ

リリース・データ

ジョー・ペースとコロラド・マス・クワイアによるアルバム「Speak Life」は、2003年7月22日にリリースされました​​。録音はデンバーのFTMスタジオ、ダラスのFuture Audio、レキシントンのIn The Red Studios、トレドのThe Music Factory、テネシー州ブレントウッドのThe Sound Stationで行われました​​。

歌詞

[Verse 1]
Have you ever been in a dry place?  Couldn’t show it on your face
And you’d cry inside  “Lord, tell me why?”
That relationship now broken  So many hurts unspoken
And you’d die inside  “Lord, tell me why?”

[Bridge]
Night after night you pray  Still nothing seems to ever change
Remember God’s Word is true  He knows the plans He has for you
By faith this is what you must do

[Chorus]
Just speak life to it  Just speak life through it
Knowing God’s not a man  That He should lie
Just hold on to it  Just go on through it
To every dry bone in your valley  Just speak life

[Verse 2]
Whatever happened to your dreams  You struggled with your self-esteem
And you’d cry, inside  “Lord, tell me why?”
Frustration’s always on your mind  There’s been no joy for quite some time
And you’d die inside  Lord, tell me why?

[Bridge]
Night after night you pray  Still nothing seems to ever change
Remember God’s Word is true  He knows the plans He has for you
By faith this is what you must do

You may not see it right now  Still you must believe that somehow
God will work it out

Though your bones may seem dry You must now prophesy
That I shall live and not die

深読み歌詞解説(楽しくこじつけてます)

「Speak Life」は、心の乾きと苦悩を表現しており、このテーマは聖書のいくつかの部分に深く根ざしています。

まず、「乾いた場所にいたことはありますか?」という一節は、聖書の詩篇 63:1「神よ、あなたは私の神です。私はあなたを熱心に探し求めます。私の魂はあなたを渇望し、私の肉もこのかわいた、疲れ果てた、水のない地であなたを求めます。」と共鳴します。この詩篇は、精神的な乾きや神への渇望を表しています。

次に、「その関係が今は壊れ、語られない多くの傷」については、聖書の使徒の手紙エペソ人への手紙 4:31-32「あらゆる苦さ、憤り、怒り、喧嘩、そしり、およびあらゆる悪意をあなた方から取り除きなさい。互いに親切にし、慈悲深く、神がキリストにおいてあなた方を赦したように、互いに赦し合いなさい。」と関連があります。これは、傷つきやすい人間関係と、それを乗り越えるための赦しの力を強調しています。

「Speak Life」という曲名自体も、聖書の箴言 18:21「死と生は舌の力にある、それを愛する者はその実を食べるであろう。」という教えにつながります。この箴言は、言葉の力、特にポジティブな言葉が生命を吹き込む力を持つという考えを示しています。

この歌は、聖書に示された教えを現代の感情と結びつけ、苦悩を乗り越えるために神への信仰と言葉の力を頼りにすることを示唆しています。

「夜もすがら祈っても、何も変わらないように見える」という部分は、祈りの持続性と忍耐の重要性を示しています。これは、ルカの福音書 18:1-8にある不公平な裁判官と未亡人のたとえ話と類似しています。この話では、未亡人が裁判官に対して粘り強く訴え続けることで、最終的に正義を勝ち取ることができました。これは、神への信仰と祈りが持続的であるべきであり、時にはすぐに結果が現れないかもしれないが、忍耐が報われることを教えています。

「神の言葉は真実であることを覚えておきなさい」というフレーズは、ヘブライ人への手紙 10:23「私たちが告白する希望を揺るがずに固守しましょう。約束してくださった方は信頼できるからです。」とつながりがあります。これは、神の約束は確かであり、信仰を持ち続けることの重要性を強調しています。

「神はあなたのための計画を知っている」という部分は、エレミヤ書 29:11「わたしはあなた方のために抱いている計画を知っている、主は言われる。それは災いの計画ではなく、平安の計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ。」と深いつながりがあります。これは、神が我々一人一人のために特別な計画を持っており、その計画は我々にとって最善であるという信仰を示しています。

「Just speak life to it」というフレーズは、聖書における言葉の力、特に神の言葉の創造的で変革的な力を象徴しています。これは創世記の初めの部分に反映されており、神は言葉を通じて世界を創造しました。

「Knowing God’s not a man / That He should lie」という部分は、民数記 23:19「神は人間ではないので、嘘をつかない。また、人の子ではないので、後悔しない。彼が言ったことを実行しないであろうか。彼が語ったことを成就しないであろうか」という節に通じます。これは、神が変わることのない真実を持ち、その約束は確かであるという信念を示しています。

また、「To every dry bone in your valley / Just speak life」というフレーズは、エゼキエル書 37章の「乾いた骨の谷」の預言と密接に関連しています。この預言では、エゼキエルが神の命令によって乾いた骨に語りかけると、骨が生き返り、肉が付いて軍隊になりました。これは、神の言葉が死んだものにさえ命を吹き込むことができるという、言葉の力の象徴です。

「夢に何が起こったのか」という問いは、失望と希望の喪失を表しています。これは、コロサイの信徒への手紙 3:23-24「あなたがたが何をするにしても、人にではなく主に仕えるように、心を込めて働きなさい。あなたがたが受ける報酬は、相続としての主なるキリストによるものです。あなたがたは主キリストに仕えているのです」という箇所と関連があります。この箇所は、人生の目的と希望を主(キリスト)に見出し、その中で夢を追求することを奨励しています。

「自己評価に苦しむ」という部分は、自尊心の問題と内面の平安を求める必要性を示しています。これは、フィリピの信徒への手紙 4:6-7「何も思い煩うことなく、どんなことでも、祈と願いと感謝をもって、あなたがたの要求を神に知らせなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、キリスト・イエスにあってあなたがたの心と思いを守るでしょう」と通じています。この箇所は、心の平安を神に求め、祈りを通して自己評価の問題に対処することを助言しています。

「喜びを長い間感じていない」という部分は、詩篇 30:5「神の怒りはつかの間、神の恵みは一生である。夜は涙にくれることもあるが、朝には喜びがくる」という節と関連しています。これは、困難な時期があっても、神が最終的に喜びをもたらすという希望を示しています。

「今は見えなくても、何とかして神がそれを整えてくれると信じなければならない」というフレーズは、ローマ人への手紙 8:28「神はすべてのことを共に働かせ、彼を愛する者、すなわちその目的に従って召された者たちの益になるようにされる」という節と密接に関連しています。これは、神が最終的には全てを良い方向に導くという信頼を示しています。

また、「あなたの骨が乾いているように見えても、今、預言しなければならない」という部分は、エゼキエル書 37章の「乾いた骨の谷」の預言に再び言及しています。この章では、預言者エゼキエルが神の指示に従い、死んだと思われた骨に命を吹き込みます。これは、どんなに状況が絶望的に見えても、神の力によって変わることができるという希望を象徴しています。

「私は生きて死なない」という宣言は、詩篇 118:17「私は死なないで生きる。主の御業を語る」という節を思い起こさせます。この節は、神の恵みと保護により、困難を乗り越えて生き延びることができるという信頼を示しています。

全体として、この歌詞は、見えない未来に対する信頼と希望、そして神の計画とその力への信仰を強調しています。現在の困難な状況にもかかわらず、神が最終的にはすべてを良い方向に導くという信念を保持することの重要性を伝えています。