Richard Smallwood / リチャード・スモールウッド
ゴスペルにクラシックの要素をミックス
Richard Smallwoodは、クラシック音楽の弦楽器や高貴さを伝統的なブラックチャーチのボーカルスタイルやピアノコードと巧みに融合させることで、ゴスペル界において確固たるキャリアを築いてきました。彼の楽曲はクラシカルでありながらもポピュラーな魅力を持ち、独自性と知性を持った作品を生み出しています。
ゴスペルの新たな側面
ゴスペルというジャンルは、ピュアな信仰心や感情的表現に偏りがちですが、Richard Smallwoodの曲はその枠を超えています。「Center of My Joy」「Total Praise」「In the Shelter」といった彼の代表曲は、アメリカの教会で毎週のように歌われています。
ダニー・ハサウェイ、ロバータ・フラックとの関係
1948年11月30日にジョージア州アトランタで生まれたSmallwoodは、5歳で耳コピによるピアノ演奏を始め、7歳で正式なレッスンを受け、11歳で自分のゴスペルグループを結成しました。ハワード大学では、Donny Hathaway、Debbie Allen、Phylicia Rashad、Roberta Flackなどの著名な人物と同時期に在籍していました。彼はハワード大学の最初のゴスペルグループであるThe Celestialsのメンバーであり、Montreux Jazz Festivalで初めて歌ったゴスペルグループとされています。また、Howard Gospel Choirの創設メンバーの一人でもありました。大学卒業後、SmallwoodはUniversity of Marylandでしばらく音楽を教えていました。
The Richard Smallwood Singers
1977年にThe Richard Smallwood Singersを結成。当初は5〜7人のメンバーがゴスペル音楽に革新的で現代的なサウンドをもたらしました。彼らはWashington D.C.地域で活動し、1982年にBenson Recordsのブラックゴスペル部門であるOnyx Recordsと契約を結びました。デビューアルバム”The Richard Smallwood Singers”は、Billboard誌のスピリチュアルチャートで87週間にわたりランクインするという驚異的な成功を収めました。
Richard Smallwood Singersは、カリスマ的なDottie Jones、情熱的なJackie Ruffin、圧倒的なDarlene Simmons、そしてSmallwood自身のドライなテナーが交互にリードボーカルを務めることで、独特のサウンドを作り出しました。彼らの音楽は、主に黒人の若い中産階級のクリスチャンに響きました。当時、ほとんどのゴスペルアーティストが年配の観客に訴えていたのに対し、Smallwood Singersは若くて洗練された観客に支持されました。
大ヒットアルバムと楽曲
1984年のアルバム『Psalms』は、スピリチュアルチャートで1位を獲得し、大成功を収めました。1987年にはWord RecordsのRejoiceブラック部門に移籍し、アルバム『Textures』をリリースしました。このアルバムは前作ほどの成功は収めなかったものの、バラード「Center of My Joy」がグループのキャリアで最大のヒットとなりました。
「Center of My Joy」の成功
「Center of My Joy」は、SmallwoodがBill GaitherとGloria Gaitherと共に作曲した曲で、クラシックな合唱と情熱的なゴスペルの爆発を交互に織り交ぜた構成が特徴です。ソフトなポップ感を持ちながらも、ゴスペルのクレッシェンドに至るこの曲は、白人のクリスチャンコミュニティにも初めて紹介されました。Ron Kenoly、Tanya Goodman-Sykes、Sensational Nightingalesなど多くのアーティストによってカバーされ、その人気は広がりました。
国際的な人気と貢献
Smallwood Singersの人気は、ソビエト連邦でのコンサートツアーに招待されるまでに至りました。さらに、彼らは1988年のCandi Statonのトラディショナルゴスペルアルバム『Love Lifted Me』や、1989年のコンテンポラリーゴスペルCD『Stand Up and Be a Witness』のバックグラウンドボーカルも担当しました。特に後者では、SmallwoodがタイトルカットでStatonのボーカルに花を添えました。
アルバム『Portrait』からの移籍と再成功
前作ほどの売上を記録しなかったものの、チャートにはランクインしたアルバム『Portrait』をリリースした後、Richard Smallwood SingersはSparrow Recordsに移籍しました。1992年にリリースされたアルバム『Testimony』からのラジオヒット「What He’s Done for Me」で再び成功を収めました。
再び脚光を浴びる
1993年には「Stand by Me」と「In the Shelter」をフィーチャーしたライブCDをリリースし、さらにJive/Verity Recordsに移籍しました。この期間に、Smallwoodはゴスペル業界におけるレーベルのサポートの重要性についての見解を述べています。
レーベルとの関係
Smallwoodは、「私は主要なゴスペルレーベルすべてに在籍したことがあります」と語っています。彼は各レーベルのやり方を比較し、サポートの有無を感じた経験についても触れています。特に、NEW KIDS ON THE BLOCKと同じレーベルにいた時の体験を振り返り、レーベルの全エネルギーが彼らを売るために注がれていたことを述べています。その一方で、自身のプロジェクトには十分なサポートが得られず、フラストレーションを感じることが多かったと言います。
Smallwoodは、レーベルに提案しても「見てみましょう」と言われるだけで、レコードをただ出してみるだけの状況だったと述べています。成功するかどうかは、自身で何とかするしかないという経験を積み重ねてきたのです。
Richard Smallwood & Vision
Verity Recordsに移籍した後、Richard SmallwoodはSmallwood Singersを解散し、新たに大規模なバックアップクワイヤー「Vision」を結成しました。1996年に初のVerity CD『Adoration』をリリースし、このアルバムにはヒット曲「Angels」や「Total Praise」が収録されています。Visionと共に、Smallwoodは「Healing」、「At the Table」、「Calvary」などのヒットCDを次々とリリースしました。
長寿を誇るキャリア
多くのゴスペルアーティストが数回のメガヒットを出した後に姿を消す中で、Smallwoodはゴスペルのスーパースターというわけではないものの、一貫して長寿を誇るキャリアを維持してきました。彼の音楽は世俗的なアーティストにも受け入れられ、Whitney Houstonの「I Love the Lord」、Yolanda Adamsの「That Name」、Destiny’s Childの「Total Praise」などが彼の曲をカヴァーしました。
音楽のミニスターとしての使命
1993年のWashington Postのインタビューで、彼の曲の影響について尋ねられた際、Smallwoodはこう答えました。「すべての答えを持っているわけでも、どんな答えを持っているわけでもありませんが、音楽のミニスターとして、証言の歌を通じて励ましの言葉を伝えるためにオープンでいる必要があります。歌うことはその一部に過ぎません。ミニストリー自体はそれ以上のものです。」
75歳の誕生日と栄誉
2023年11月30日、ハイランドパークの第一バプテスト教会でSmallwoodの75歳の誕生日を祝うイベントが開催され、多くのゴスペル・アーティストがトリビュートを捧げました。イベントは彼が創設した「ハワード大学ゴスペル・クワイア」の歌から始まりました。
ジョージ・E・ホームズ牧師がジョー・バイデン大統領の声明を読み上げ、Smallwoodに金メダルを授与しました。ワシントンDC市長のミュリエル・バウザーは、12月1日をリチャード・スモールウッドの日とする宣言を発表しました。
感動的なトリビュート
ビデオプレゼンテーションでは、フェイス・エヴァンス、ジョン・P・キー、トラメイン・ホーキンス、ドッティ・ジョーンズなど、多くの国内アーティストがSmallwoodに「ハッピーバースデー」を歌いました。レコーディングアーティストのアンジェラ・ウィンブッシュとSmallwoodのグループの元メンバーの多くが聴衆に集まり、ゴスペル音楽の伝説トゥインキー・クラークがSmallwoodへの魅惑的な音楽的トリビュートを演奏しました。
投稿者
kingbee33@gmail.com
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