大人の為の部活系ゴスペルSatisfy My Soul(サティマイ)です。大阪中津・豊中・神戸元町・京都・博多天神・東京高田馬場・名古屋で練習しています♪

「BEE考欄」2019.1.22

徒然日記

情報社会に氾濫する薄っぺらい断片

フェイスブックやインスタグラム、Twitterなど世の中には気軽に誰もがネット上で情報を発信できるツールで溢れかえっています。またグーグルなど便利な検索システムを利用することで、昔なら図書館で調べていたようなことも、知りたいときに自宅やオフィスですぐに知ることができるようになりました。

しかし誰もが発信できるということは、その膨大な情報の中から知りたいことの「本質」を探すというあらたな「手間」も生まれているように思います。物事の上っ面を知るにはネットは手軽ですが、その分タイトルと目次だけ見て知ったような気持ちになってしまいがちです。

ですので、自分もそうですけど、情報だけ集めて結局は何も決められずに行動に移せないということもよく出てくるようになりました。

やたら「片付いた言葉」で書かれた薄っぺらい断片的な情報をいくら集めても、そこに先人が培った試行錯誤は見えてきません。単なる結果をいくら知ったところで仕方ない。

情報を集める・・という行動に勤しむ

例えば、僕は去年の5月に脳梗塞をやりましたけど、再発防止のためにいろんな検査(MRIや血液検査など)を数か月に一度受けることになりました。それと同時にお医者さんからの至上命令として「禁煙」と「ダイエット」を言い渡されました。

やせようと思い立って、ネットでいろんな情報を収集します。思い立って調べ始めたはずなのに集めてくる情報は「運動いらず。これさえ飲めばやせるサプリ」とか、「なんとかプロティン」とか「りんごダイエット」のような特別なものを食べ続けることで痩せる方法とか、なぜか身体に物を入れて痩せようとする情報ばかり・・・。意志弱すぎ・・・。

結局色んな情報に惑わされて、「よしこれだ!」と3日やってみたけど効果が出ない、「じゃあこれか!」と次のやつを2回やってみたけどそれもまた長続きせず次に手を出す・・。これではいくらやっても同じで目的はいつまでも果たせません。

でもそれは、それらの方法が悪かったせいではなく、どれであろうとじっくりと落ち着いて取り組めばそれぞれが成果を出せたんだろうと思います。ただただ情報を集めすぎたことでそれらの情報に惑わされて長続きしなかったことが原因です。

フェイスブックをやめて思うこと

一番多い時で800人以上の「友達」がいました。フェイスブック上で・・・。

親しい人や仕事で付き合うミュージシャンたちが「いま何をしているか・・」「どんなことを考えているか・・」を知り、次に会った時の話題のきっかけにしたり、たぶん僕はそれなりに活用できていたと思います。

でも仲がいいと思っていた人同士が、僕の知らないところでイベントをやっているのを観たりすると、何か言いようのない不安や不快感に襲われたりしたことも事実です。そういうことは気にしないタイプだと思っていたけど、実際はそんなことなかった。

フェイスブックにも良い点はありました。まったく連絡を取っていなかった小学校の友人を見つけることができたり、海外の人とも簡単に連絡ができるのはすごいと思いました。

でもフェイスブックで見つけた30年ぶりの友人と久しぶりに会うことになったとき、すでに彼が「昨日何を食べたのか」まで知っている僕がいました。30年という月日は空白のままなので話すことはたくさんあるはずなのに、この数か月のどうでもいい行動をなんとなく知っているだけで、とても変な違和感を感じたというか・・簡単に言えば30年ぶりの再会という感動はほぼなかった気がします。

その時、僕は「知らなくていいどうでもいいことを頭に入れるのは面白くない」と本当に思い、「フェイスブックやめようかな・・」と思いました。

結局、その数か月後に「大炎上」があり、僕は自分のアカウントを消しました。グループの運営に必要なので管理者用のアカウントは持っていますが、名前も違うし日記などもまったく書いていません。「友達」もメッセンジャーで連絡を取る必要がある人だけなので10人程度です。

本当に見事なくらいに「友達」の情報が消えました。意図的に知ろうとしないというのもありますけど、いまは本当に誰がどこで何をしているのかは昔と比べたらほぼ知らないと思います。

でもそれでいいと思ってます。やめるまでは僕は「人付き合いがとても上手い」と思っていました。誰とでもすぐにつながりが持てるし、人脈も広いと・・。でも今は違います。僕は人と付き合うのが本当に下手です。だから一生懸命付き合おうとすると調子のいいことを言ったりしてしまいがちで、何も気にせずやると「人誑し」になってしまう。

そういう自分が嫌になりました。脳梗塞をやって良かったことは、そういったずるい機転みたいな機能が回らなくなったこと。人の顔色や表情を瞬時に都合よく判断する情報処理能力が前と比べたらほぼ動きません。

なのでいまはシンプルに目の前にいる人たち。リアルに付き合ってて、会っているときだけ情報を発信してくれる人たちに囲まれて、アホな笑い話をしています。

ご飯を食べる・歌を歌う・掃除をする

いま好きなことの一つが「猫のトイレの掃除」です。なんで好きなのかよくわからんけど、一心不乱に猫のために掃除をするのは気持ちいい。

ご飯も以前よりおいしくなりました。タバコをやめたこともあるんでしょうけど、外のいろんな情報を少なくしたことで目の前の他愛もないことが大事に思え、味わえるようになってきたのかなと思っています。

目の前にあるシンプルな出来事を大事にする。

「散歩の景色」、「近所のお店の店員さんとの挨拶」、「思い立ってやる掃除」、「何度も歌って飽きたと思っていた歌」・・・・。

よく見れば、手が届く範囲に味わえるものはすべて揃っていました。笑