大人の為の部活系ゴスペルSatisfy My Soul(サティマイ)です。大阪中津・豊中・神戸元町・京都・博多天神・東京高田馬場・名古屋で練習しています♪

Oh Lord, Stand By Me / Traditional Gospel / 黒人霊歌

ゴスペル・スタディ

「Oh Lord, Stand By Me」は、アフリカン・アメリカンのゴスペル音楽伝統に根差した曲であり、信仰深いコミュニティの心の叫びを表現しています。この曲は、人生の困難や試練の中で、神の不変の存在と支援を求める内容です。ゴスペル音楽の中でも、この曲は特に、人間の脆弱さと神への絶対的な依存を強調しています。

歌詞の繰り返しは、祈りと願いの強さを象徴しており、信仰心を持つ人々にとっては、神とのつながりを再確認する手段となります。また、この曲は多くのゴスペルアーティストによって異なるスタイルで歌われており、その都度新しい解釈や感情が加わることがあります。

ゴスペル音楽の歴史を考慮すると、「Oh Lord, Stand By Me」は、アフリカン・アメリカンの歴史や文化の中で重要な役割を果たしてきたことがわかります。奴隷制度の時代から、ゴスペル音楽は、苦難を乗り越え、希望を保つための重要な手段となっています。この曲は、そのような背景の中で生まれた、力強い表現の一つです。

無理矢理 歌詞解説(和訳)

この歌詞解説は、「こう解釈すべきだ」というようなものではなく、BEE校長が長年の興味として行っている 1行ごとに聖句に照らし合わせてみたら、そこには個別の意味が存在するんじゃないかという「検証」です。 これによりサティマイのメンバーさんが曲を歌う時の「景色」や「色」に繋がればいいなと思い書いています。


There are times we stand alone
私たちが一人で立つ時がある
詩篇 38:11 ”私の愛する者と友だちは、私の災いを前に遠ざかり、私の親族は遠く離れて立っている。”
この行は、困難や苦境にある時、人が孤独を感じることを表しています。詩篇の一節は、最も困難な時にさえ、親しい人々が離れていくことを示唆しています。

Although we’ve done no wrong
悪いことをしていなくても
ヨブ記 1:8 ”地上に彼のような完全で正しい者はいません。彼は神を恐れ、悪から遠ざかっています。”
罪を犯していないにも関わらず、人が試練に直面することがあるという事実を強調しています。ヨブ記の一節は、正しく生きる人でも困難に遭遇することがあると述べています。

Oh Lord, oh Lord, stand by me
おお主よ、おお主よ、私のそばにいてください
詩篇 46:1 ”神は私たちの避け所であり力、いつも見出される非常時の助けです。”
孤独や挑戦の中で神の支持を求める人の祈りを表しています。詩篇の一節は、どんな時でも神が力と避け所であるという信仰を強調しています。

There are times we stand the test
試練に立ち向かう時がある
ヤコブの手紙 1:12 ”試練に耐える人は幸いです。試練に耐えた人は、神が愛する人に約束された命の冠を受け取るでしょう。”
この行は、人生の試練に直面し、それに耐える人々の強さと勇気を称賛しています。ヤコブの手紙は、試練を乗り越えることの価値を強調し、それに耐えることで得られる神の約束に言及しています。

Even when we’ve done our best
最善を尽くしても
コリント人への第二の手紙 12:9 ”しかし、彼は私に言いました、「私の恵みはあなたに十分です。私の力は弱さの中で完全になります。」”
この行は、最善を尽くしてもなお困難が続く場合があるという現実を示しています。コリント人への手紙の一節は、私たちの弱さの中でも神の恵みと力が完全に働くことを教えています。

If you don’t know the Lord
主を知らないなら
ヨハネの福音書 14:6 ”イエスは言いました、「私は道であり、真理であり、命です。私を通してでなければ、だれも父のもとに来ることはできません。」”
イエス・キリストをまだ知らない人々に向けて、彼を認識する重要性を示唆しています。ヨハネの福音書の一節は、イエスを通じてのみ神との関係が得られると教えています。

In the pardon of your sin
罪の赦しの中で
使徒の働き 10:43 ”すべての預言者は、彼の名によって信じる者すべてに罪の赦しが与えられることを証言しています。”
キリストによって罪が赦されるというキリスト教の教えを表しています。使徒の働きの一節は、イエスを信じることによって罪の赦しを受けられると述べています。

Just open up your heart
ただ心を開いて
黙示録 3:20 ”見よ、私は戸口に立ってノックしています。だれかが私の声を聞いて戸を開ければ、私は彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をするでしょう。”
イエス・キリストを受け入れるためには、まず自分の心を開くことが必要であると述べています。黙示録の一節は、イエスが私たちの心に入るための招待を示唆しています。

And let Jesus walk on in
イエスを歩み入れさせて
ヨハネの福音書 1:12 ”しかし、彼を受け入れた人々、すなわち彼の名を信じる人々には、神の子となる権利を与えました。”
イエス・キリストを自分の人生に招き入れることの重要性を強調しています。ヨハネの福音書の一節は、イエスを信じ、受け入れることで神の子となる資格が与えられることを教えています。

While I walk this lonesome road
この孤独な道を歩く間
マタイの福音書 7:14 ”狭くて押し通された門から入るのです。それは命に通じる道であり、それを見出す者は少ないです。”
人生の困難な道のりを象徴しています。マタイの福音書は、正しい道を歩むことの難しさと、その道がいかに価値があるかを強調しています。

Help me bear this heavy load
この重い荷物を運ぶ手助けをしてください
マタイの福音書 11:28 ”すべて労働し、重荷を負っている者よ、私のところに来なさい。私はあなたがたを休ませます。”
困難な時に神に援助を求めるというテーマを表しています。マタイの福音書では、イエスが疲れたり重荷を負っている人々に安息を提供すると語っています。

If I stumble, Lord
もし私がつまずいたら、主よ
詩篇 37:24 ”たとえ彼が倒れても、全く倒れることはない、主が彼の手を握っているからです。”
この行は、人生の試練に直面したとき、神が支えとなることを示しています。詩篇の一節は、たとえ私たちがつまずいても、神が常に支えてくれることを保証しています。

Pick me up Help me drink this bitter cup
私を拾い上げて この苦い杯を飲む手助けをしてください
マタイの福音書 26:39 ”そして、少し進んで顔を地につけ、祈って言いました、「父よ、できるなら、この杯が私から過ぎ去りますように。しかし、私の望むことではなく、あなたの望むことが行われますように。」”
人生の苦難を受け入れる際の神への信頼を表しています。マタイの福音書では、イエスが自分の苦難を受け入れ、父なる神の意志を優先する様子が描かれています。

When everything goes wrong
すべてが間違っているとき
ローマ人への手紙 8:28 ”私たちは、神を愛する者、すなわちその目的に従って召された者には、すべてのことが共に働いて益となることを知っています。”
どんなに状況が悪くても、神が最終的には良い結果をもたらすという信頼を表しています。ローマ人への手紙は、すべての事象が神の計画に沿って最終的には良いことになると述べています。

And there’s trouble all in your home
そして家中が問題だらけのとき
ヨハネの福音書 16:33 ”私はこれらのことをあなたたちに語っています、私の中にあなたたちは平和を持てます。世にあなたたちは患難を持ちますが、勇気を持ちなさい。私は世に勝っています。”
この行は、家庭内の困難にもかかわらず、イエス・キリストを通じて平和を見出すことができるという希望を示しています。ヨハネの福音書は、イエスが世の困難に勝利していると述べ、信者に勇気を与えています。

I don’t worry and I don’t freight
私は心配せず、怖れません
フィリピの信徒への手紙 4:6-7 ”何も心配することはありません。ただ、すべてのことにおいて、祈りと願いと共に感謝をもって、あなたたちの願いを神に知らせなさい。”
どんな状況でも神への信頼を保ち、心配や恐れを捨てることを勧めています。フィリピの信徒への手紙は、祈りと感謝を通じて、神が心の平和を与えることを教えています。

Because God Almighty has never failed me yet
全能の神はまだ私を失望させたことがありません
ヨシュア記 21:45 ”主の良い約束のうち、一つも欠けたものはなく、すべてが成就しました。”
神が約束を守り、信者を見捨てないという確信を表しています。ヨシュア記は、神が約束したことが全て成就したと述べ、神の信頼性を強調しています。