タグ:

How great Thou Art (いかに偉大なるか、神よ)曲の背景

Stuart K. Hineは、1931年にウクライナで宣教旅行中のイギリスのメソジスト宣教師でした。彼はそこでカール・ボーベルグの詩「O Store Gud」(おお、偉大なる神よ)に触発されたドイツ語の歌のロシア語訳を初めて聞きました。

Hineはその歌を英語に翻訳し始め、いくつかの節を追加しました。悔い改め、神の愛と慈悲に気づいて大声で神に叫んだロシアの村人たちに触発され三番目の節が追加されました。「神がその息子を惜しまずに送り、死なせたと思うと、私はそれを受け入れることができないほど心が痛む。」

Hineと彼の家族は、飢饉と第二次世界大戦が始まるとウクライナを離れ、イギリスのサマーセットに定住し、ポーランド難民の宣教師として活動を続けました。「How Great Thou Art」の四番目の節は、大きな苦難を経験しながらも、天国で再び愛する人々に会うことを楽しみにしていたロシア人たちの姿に感銘し作られました。「ジーザスが賞賛の声とともに来て私を家に連れて行くとき、どれほどの喜びが私の心を満たすことでしょう。」

「How Great Thou Art」の最終的な英語版は1949年に出版され、イギリス、アフリカ、インド、アメリカなどで急速に広まりました。

ゴスペル歌詞和訳&聖書紹介

O Lord my God, When I, in awesome wonder
主よ我が神よ、畏怖の念に満ちて
“Lord, our Lord, how majestic is your name in all the earth! You have set your glory in the heavens.”
「主よ、主よ、あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたの栄光は天に掲げられています。」 (詩篇 8:1)

この一節では、神の偉大さと威厳を目の当たりにして、心が畏れ多い思いで満たされる様子が表現されています。自然の中に現れる神の栄光に気づき、私たちはその圧倒的な力と偉大さを感じ、感謝と賛美の心を抱くのです。


Consider all the worlds Thy Hands have made;
御手によって造られたすべての世界を考えるとき
“In the beginning, God created the heavens and the earth.”
「初めに、神は天と地を創造された。」(創世記 1:1)

ここでは、天地創造を通して神が全宇宙を形作られたことを考え、その力と創造の業を思い巡らしています。神が私たちの住む世界を造られたという事実に気づくと、私たちはその深遠さと広がりに感嘆します。


I see the stars, I hear the rolling thunder,
星々を見、轟く雷の音を聞くとき
“The heavens declare the glory of God; the skies proclaim the work of his hands.”
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇 19:1)

星々や雷といった自然現象を通して、私たちは神の栄光と力強さを見ることができます。天が神の創造の美しさを語り、雷の轟きがその力を示しています。


Thy power throughout the universe displayed.
あなたの力が全宇宙に示されている
“For since the creation of the world God’s invisible qualities—his eternal power and divine nature—have been clearly seen, being understood from what has been made.”
「神の見えない性質、すなわち永遠の力と神性は、世界の創造された時から被造物によって知られ、はっきりと認められるようになっています。」(ローマ 1:20)

神の力と神性は、全宇宙を通して明らかに示されています。天地の創造物すべてが、その存在を通じて神の偉大さを語り、私たちに神の力を思い起こさせます。


Then sings my soul, My Saviour God, to Thee,
その時、我が魂は歌う、救い主なる神よ、あなたに向かって
“Praise the Lord, my soul; all my inmost being, praise his holy name.”
「我がたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ、その聖なる御名を。」(詩篇 103:1)

ここでは、魂が神に向かって自然に賛美を捧げる姿が描かれています。救い主である神への感謝の念が、心の奥底からあふれ出て、歌となって表現されます。


How great Thou art, How great Thou art.
なんと偉大であられることか、なんと偉大であられることか
Great is the Lord and most worthy of praise; his greatness no one can fathom.”
「主は大いなる方。賛美すべき方である。主の偉大さは計り知ることができない。」(詩篇 145:3)

神の偉大さは、私たちの理解を超えたものであり、言葉では表現しきれないほどの力と愛を示しています。その偉大さに圧倒され、私たちはただ賛美せずにはいられません。


Then sings my soul, My Saviour God, to Thee,
その時、我が魂は歌う、救い主なる神よ、あなたに向かって
“I will praise the Lord all my life; I will sing praise to my God as long as I live.”
「私は生きている限り、主をほめたたえる。命ある限り、私の神をほめ歌う。」(詩篇 146:2)

生きている間中、神をほめたたえたいという願いが込められています。魂が自然と神に向かい、救いと愛に感謝する心が賛美の歌へと昇華されています。


How great Thou art, How great Thou art!
なんと偉大であられることか、なんと偉大であられることか!
For the Lord is the great God, the great King above all gods.”
「まことに主は大いなる神。すべての神々にまさって、大いなる王。」(詩篇 95:3)

神は他の何者にもまさって偉大な方です。この一節は、神の偉大さを強調し、その力と威厳に心から感嘆する心を表現しています。神の偉大さをたたえる賛美の言葉が、私たちの魂に響き渡ります。


When through the woods and forest glades I wander,
森の中を歩き、林の小道をさまよう時
“The trees of the Lord are well watered, the cedars of Lebanon that he planted.”
「主の木々は豊かに潤い、主が植えたレバノンの杉は繁茂しています。」(詩篇 104:16)

自然の中を歩くとき、私たちは神が創造された木々や森林の美しさを目にします。神が自然に注がれる手入れと恵みを感じ、森の静けさの中で神の臨在を見出すことができます。


And hear the birds sing sweetly in the trees.
木々の中で鳥たちが美しく歌うのを聞くとき
Even the sparrow has found a home, and the swallow a nest for herself, where she may have her young—a place near your altar, Lord Almighty, my King and my God.”
「すずめさえも住みかを得、つばめはひなを育てる巣をあなたの祭壇のそばに作ります。万軍の主、私の王、私の神よ。」(詩篇 84:3)

木々の中で鳥たちがさえずる様子は、神がすべての生き物に住まいと平安を与えてくださることを思い起こさせます。鳥たちの歌声は、神の慈愛と守りを象徴しているようです。


When I look down, from lofty mountain grandeur
高い山の雄大さを見下ろすとき
“The mountains melt like wax before the Lord, before the Lord of all the earth.”
「山々は、全地の主の御前で、ろうのように溶けます。」(詩篇 97:5)

山の雄大さを目にするとき、私たちは神の力強さと威厳を感じます。しかし、その偉大さの中でも、山でさえも神の前では溶けてしまうほどの神の圧倒的な力を思い起こします。


And see the brook, and feel the gentle breeze.
小川を見て、穏やかなそよ風を感じるとき
You visit the earth and water it; you greatly enrich it; the river of God is full of water; you provide their grain, for so you have prepared it.”
「あなたは地を潤し、大いに豊かにされます。神の川は水に満ち、あなたは人々に穀物を備えられます。まさに、あなたがそうされました。」(詩篇 65:9)

小川やそよ風は、神が地を潤し、豊かにされる証です。自然界に流れる水や風も、神の優しさと豊かな恵みを表しています。これらを感じるとき、私たちは神の愛と平安に包まれます。


And when I think, that God, His Son not sparing;
そして思うとき、神がその御子を惜しまず
“He who did not spare his own Son, but gave him up for us all—how will he not also, along with him, graciously give us all things?”
「神は、ご自分の御子さえも惜しまず、すべての人のために死に渡されたのですから、どうして御子と共にすべてのものを恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ 8:32)

神がその御子であるイエス・キリストを惜しまずに私たちのために捧げたという事実は、計り知れない愛を示しています。この愛の深さは、私たちに対する神の無限の恵みと救いの約束を思い起こさせます。


Sent Him to die, I scarce can take it in;
彼を死に送られたことを、私はほとんど理解できない
“For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.”
「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」(ヨハネ 3:16)

神が私たちを愛してくださり、御子イエスを十字架の死に送られたことは、信じがたいほどの犠牲です。しかし、この犠牲によって私たちは永遠の命を得ることができるという驚くべき恵みが示されています。


That on a Cross, my burdens gladly bearing,
十字架の上で、私の重荷を喜んで背負い
“Surely he took up our pain and bore our suffering, yet we considered him punished by God, stricken by him, and afflicted.”
「まことに彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。だが私たちは思った、彼は神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。」(イザヤ 53:4)

イエス・キリストは、私たちの苦しみや罪の重荷を十字架の上で背負ってくださいました。私たちが感じる痛みや罪の結果を彼がすべて引き受け、私たちを自由にしてくださいました。


He bled and died to take away my sin.
彼は血を流し、死んで私の罪を取り去った
“He himself bore our sins in his body on the cross, so that we might die to sins and live for righteousness; by his wounds you have been healed.”
「彼は、自ら十字架の上で私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪に対して死に、義のために生きるためです。あなたがたはその打ち傷のゆえに癒されたのです。」(1ペテロ 2:24)

イエスが十字架で血を流し命を捧げられたのは、私たちの罪を取り除くためです。彼の犠牲によって、私たちは罪から解放され、癒しと新しい命を与えられます。この贖いの愛を思うとき、心からの感謝と賛美がわき上がります。


When Christ shall come, with shout of acclamation,
キリストが歓声とともに来られるとき
“For the Lord himself will come down from heaven, with a loud command, with the voice of the archangel and with the trumpet call of God, and the dead in Christ will rise first.”
「主ご自身が、合図の号令と、大天使の声、そして神のラッパの響きとともに天から下って来られます。そしてキリストにあって死んだ者たちがまず最初によみがえります。」(1テサロニケ 4:16)

キリストの再臨の時、天からの歓声とともに栄光の姿で現れるという約束が与えられています。この時、すべての信者は主を迎え入れる喜びに満たされます。


And take me home, what joy shall fill my heart.
私を天に連れて行ってくださるとき、私の心は喜びで満たされる
“And if I go and prepare a place for you, I will come back and take you to be with me that you also may be where I am.”
「私が行ってあなたがたのために場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。私のいる所に、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネ 14:3)

キリストが私たちを天の住まいへ連れて行かれる時、そこには限りない喜びが待っています。天国という永遠の住まいで主と共にいるという約束は、私たちに希望と平安を与えます。


Then I shall bow, in humble adoration,
その時、私は謙遜にひざまずき、崇めるだろう
At the name of Jesus every knee should bow, in heaven and on earth and under the earth.”
「イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてがひざをかがめます。」(ピリピ 2:10)

キリストの前で、私たちは謙虚にひざまずき、その偉大さを崇めます。神の前ではすべての者がひざをかがめ、感謝と賛美を捧げます。


And then proclaim: “My God, how great Thou art!”
そして宣言する、「我が神よ、なんと偉大であられることか!」
Great and marvelous are your deeds, Lord God Almighty. Just and true are your ways, King of the nations.”
「主よ、全能の神よ、あなたのみわざは大いなるもので、驚くべきものです。国々の王よ、あなたの道は正しく、真実です。」(黙示録 15:3)

神の偉大さに圧倒され、私たちは心からその偉大さを宣言します。神のすべての御業とその正義を讃えるこの賛美は、私たちがキリストと共に永遠を過ごす中で響き渡るでしょう。

投稿者

kingbee33@gmail.com

Satisfy My Soul(略してサティマイ)です。私達は2006年結成、関西(大阪/ 神戸/ 京都)、関東(東京)、中部(名古屋栄)、九州(福岡博多)の4拠点で活動するゴスペル教室です。 コンセプトは「大人の部活」歌い方を教えてもらうだけでなく「自分がどう歌いたいのか?」自分の力で少しずつ掘り下げていきます。 大人になった今だからこそ夢中になれるものが欲しい!!そう思うあなたにぴったりのゴスペルスクールです。 ♪サティマイとは?→プロフィール ♪講師紹介→講師プロフィール ♪無料体験レッスン→申し込みフォーム ♪お問い合わせはこちら ♪お電話でのお問い合わせは→0120-949-386

関連記事

BE CONNECTED / JACKIE McCULLOUGH

現在も路上(ストリート)に心を置く偉大な女性...

すべて読む

While You Wait / Joe Pace

コロナ禍に集まることが出来なかった時、僕たち...

すべて読む