大人の為の部活系ゴスペルSatisfy My Soul(サティマイ)です。大阪中津・豊中・神戸元町・京都・博多天神・東京高田馬場・名古屋で練習しています♪

マタイの福音書 11:28-30 イエスの招待

バイブル・スタディ

この聖句こそがゴスペルの心

「すべて重荷を背負って疲れているあなた方、わたしのところに来なさい。わたしはあなた方を休ませてあげます。わたしのくびきを取って、わたしに学びなさい。わたしは心から柔和で謙遠です。そうすればあなた方の魂に休みを見いだすことができます。」

日常生活での心の疲れや悩みは、まるで「背中についた影」のようです。日中の強い日差しの下では、その影はくっきりと私たちの足元に現れます。夜や曇りの日には、その影は薄くなったり消えたりすることもありますが、常に私たちとともにあります。

「すべて疲れているあなた方、わたしのところに来なさい」という言葉は、この影からの解放を提案しているかのように思えます。日々の生活の中で私たちが感じる疲れやストレス、悩みを、一時的にでも置いてきて、イエスのもとへ来ることで真の安らぎを得ることができるというメッセージです。

これは、私たちが抱え込んでいる日常の悩みやストレス、疲れをイエスに打ち明けるようにという招待です。この言葉には、「一人で抱え込まず、私に頼ってください」という優しいメッセージが込められています。

仕事のストレス、家族の期待、友人間の葛藤や自分自身へのプレッシャー。これらは、私たちの背中に「重い荷物」としてのしかかってくることが多いのです

この荷物は私たちが気づかないうちに日々重くなっていくもの。その重さに気づかずに、ただひたすら前に進む。そして、背中が痛くなるころには、その重さがどれほどのものかを痛感する。

こうした時、もし誰かが「その重たい荷物、私が持ちましょうか?」と声をかけてくれたら、どれだけホッとするでしょう。その声をかけてくれるのが、この聖句に登場するイエス・キリストです。

「わたしのくびきを取って、わたしに学びなさい」という部分は、私たちに新しい視点や考え方を提案しています。これはまるで、新しい眼鏡をかけることで世界が明るく、クリアに見えるようになる経験に似ています。イエスの教えや視点を取り入れることで、私たちが抱える「影」も軽く、小さく感じることができるのです。

「わたしは心から柔和で謙遠です。」

この部分は、イエス・キリストが自らの性格や性質を示しています。ここでの「柔和」は、心が優しく、怒りや過度な感情に振り回されない、穏やかな性格を意味します。対人関係で言うと、他人を攻撃したり批判することなく、受け入れる姿勢を持つことを示唆しています。

「謙遠」という言葉は、自己評価が低すぎることを避けつつも、自分を高く評価しすぎない、謙虚な態度を指します。他者との関わりの中で、自分の立場や意見を押し付けることなく、相手の意見や立場を尊重する姿勢が見られます。

「そうすればあなた方の魂に休みを見いだすことができます」

この部分は、イエスの柔和で謙遠な性質が、私たちの心や魂にどのような影響を与えるのかを示しています。日常生活において、私たちは多くのストレスや疲れ、心の葛藤に直面することがあります。しかし、イエスのような柔和で謙遠な存在がそばにいることで、私たちの心は安定し、真の休息を見いだすことができると言われています。

具体的には、柔和な人との関わりは、対立や摩擦が少なく、心が安らぎます。また、謙遠な人は、自分の価値観や考えを強要することなく、相手を受け入れることができるため、関わる人々も自分自身を偽らず、自然体でいることができます。このような環境や関係性の中で、私たちは心の休息を得ることができるのです。

要するに、この部分は、イエスの柔和で謙遠な性質が、私たちの心に安らぎや休息をもたらすことを示しています。私たちがイエスのような性質や態度を持つことで、日常の中での心の平和や休息を得る手助けとなるというメッセージが込められています。