大人の為の部活系ゴスペルSatisfy My Soul(サティマイ)です。大阪中津・豊中・神戸元町・京都・博多天神・東京高田馬場・名古屋で練習しています♪

Jesus Loves Me / Traditional Hymn

和訳

子供の為に歌われる美しい讃美歌

この曲は、アンナ・バートレット・ワーナーが作詞し、ウィリアム・バッチェルダー・ブラッドベリーが作曲しました。もともとは、1860年に出版された小説の中で詩として登場し、後に讃美歌として音楽が付けられました。

子供たちに向けて書かれたこの曲は、イエス・キリストの無償の愛を伝えるシンプルで心温まるメッセージで、幅広い年齢層に愛されています。

各節は、イエスの愛、保護、そして救済のメッセージを伝えており、キリスト教徒の間で広く歌われ、多くの人々に親しまれています。

“Jesus loves me! This I know,”
「イエスは私を愛してくれる!これは私が知っている、」

ヨハネによる福音書 3章16節。「神はそのひとり子をお与えになったほど世を愛された。それは、彼を信じる者がだれ一人として滅びることなく、永遠の命を得るためである。」
この節は、神の無限の愛と、イエス・キリストを信じることによって与えられる救済の約束を象徴しています。イエスが私たちを愛していることは、聖書を通して明らかにされており、信者にとっての確信の源です。

“For the Bible tells me so;”
「聖書がそう教えてくれるから;」

2テモテへの手紙 3章16節。「すべての聖書は神の霊感によるものであり、教え、戒め、矯正、義の訓練のために有益である。」
この箇所は、聖書が神からの啓示であり、信者が信仰生活で必要とする教えと導きを提供することを示しています。神の言葉を通して、イエスの愛を知ることができます。

“Little ones to Him belong;”
「小さな者たちは彼のもの;」

マタイによる福音書 19章14節。「イエスは言われた、『子どもたちを止めず、わたしのもとに来るのを許しなさい。天の国はこのような者たちのものである。』」
イエスは子どもたちを特別に愛し、彼らが天の国に属することを宣言しました。このメッセージは、神の愛が年齢や強さに関係なく、すべての人に及ぶことを示しています。

“They are weak, but He is strong.”
「彼らは弱いけれど、彼は強い。」

2コリントへの手紙 12章10節。「だから、キリストのためなら、弱さ、侮辱、窮乏、迫害、苦難において喜んでいる。なぜなら、わたしが弱いとき、わたしは強いからである。」
この箇所は、私たちの弱さの中で神の力が完全に現れることを教えています。人間が直面する困難や挑戦において、イエスの強さと支えがあることが強調されます。

“Jesus loves me! This I know,”
「イエスは私を愛してくれる!これは私の知っていること、」

“As He loved so long ago,”
「彼が昔愛したように、」

マルコによる福音書10章16節。「そして、彼らを抱き上げて手をその上に置き、祝福された。」
この行は、イエスが生きていた時代にも、子どもたちへの深い愛と配慮を持っていたことを思い起こさせます。彼は子どもたちを受け入れ、彼らに祝福を与えました。この歌詞は、時間を超えたイエスの愛を示唆しており、古代から現代に至るまで、彼の愛は変わらないことを教えています。

“Taking children on His knee,”
「子どもたちを膝に乗せて、」

ルカによる福音書18章16節。「しかしイエスは、子どもたちを呼び寄せて言われた、『子どもたちをわたしのもとに来るようにさせなさい。邪魔をしてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。』」
イエスが子どもたちを自分の膝に乗せる行為は、彼の愛情深さと子どもたちに対する神の国の開かれた心を象徴しています。この行動は、イエスがすべての人、特に社会的に弱い立場にある者たちに対して持っている温かい受け入れの態度を示しています。

“Saying, ‘Let them come to Me.’”
「『彼らを私のもとに来させなさい。』と言って、」

マタイによる福音書19章14節(上記参照)。
このフレーズは、イエスがすべての子どもたち、そしてそれを通じてすべての人々を受け入れ、愛することを望んでいることを強調しています。彼の言葉は、神の王国が開かれ、受容と愛に満ちた場所であることを示しています。信者にとって、このメッセージは神の無限の愛と慈悲を再確認するものです。

“Jesus loves me still today,
Walking with me on my way,”

「イエスは今日も私を愛してくれている、
私の道を共に歩んでくれる、」

マタイによる福音書28章20節。「わたしはあなたがたといつも、世の終わりまで、共にいます。」
この箇所は、イエス・キリストが彼の信者たちに約束した永遠の同伴を示しています。どんな時も、どんな状況でも、イエスは私たち一人一人と共に歩んでくれるという約束です。この歌詞は、日々の生活の中でイエスが私たちの友であり、導き手であることを表現しています。

“Wanting as a friend to give
Light and love to all who live.”

「友として、生きとし生けるもの全てに
光と愛を与えたいと願っている。」

ヨハネによる福音書8章12節。「イエスはまた人々に言われた、『わたしは世の光である。わたしに従う者は決して暗闇を歩まず、命の光を持つことになる。』」
ここでイエスは自らを「世の光」と宣言し、彼に従う者は真の啓示と愛、命の光を受けることができると述べています。この歌詞は、イエスが私たち全てに愛と光をもたらす願い、またその愛と光を世界中のすべての人々と分かち合う信者の使命を表しています。イエスの愛は行動を通して示され、それによって世界は明るく、より良い場所になります。

“Jesus loves me! He who died Heaven’s gate to open wide;”

「イエスは私を愛してくれる!彼は死んで天国の門を大きく開いてくれた;」

ヨハネによる福音書3章16節。「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、子を信じる者がだれ一人滅びることなく、永遠の命を得るためである。」
この節は、イエス・キリストの犠牲が天国への道を開くためになされた最大の証しです。イエスが十字架での死を通して、信じる者全てに永遠の命を提供し、罪からの救済を約束しました。この歌詞は、イエスの愛と犠牲がいかに偉大であるか、そして彼が私たち一人一人のために天国の門を開いたことを讃えています。

“He will wash away my sin, Let His little child come in.”

「彼は私の罪を洗い流し、彼の小さな子を迎え入れる。」

第一ヨハネの手紙1章7節。「しかし、わたしたちが光の中を歩むなら、彼自身が光の中におられるように、わたしたちは互いに交わりを持ち、そして彼の子イエスの血がわたしたちをすべての罪からきよめるのです。」
この箇所は、イエス・キリストの血が私たちの罪を清める力を持つと教えています。神の前に立つためには、罪の清めが必要ですが、イエスはその犠牲を通じて私たちを罪から解放し、神の家族の一員として迎え入れる道を開いてくれました。この歌詞は、イエスの無償の愛と救済のメッセージを象徴し、信者が神の愛の中で新たな始まりを迎えることができることを喜びます。

“Jesus loves me! He will stay, Close beside me all the way;”

「イエスは私を愛してくれる!彼は最後まで私のそばにいてくれる;」

ヘブライ人への手紙13章5節。「『わたしは決してあなたを見捨てず、決してあなたを放棄しない。』」
この聖句は、神が私たちを決して見捨てたり放棄したりしないという約束を表しています。イエス・キリストの恒久的な同伴と支持は、信者が直面するどんな困難や挑戦の中でも、彼らが決して一人ではないという確信を与えます。この歌詞は、イエスの不変の愛と絶え間ないプレゼンスを祝福し、信者が人生の旅を通じて彼に同行されることを喜びます。

“Thou hast bled and died for me, I will henceforth live for Thee.”

「あなたは私のために血を流し死んでくれました。私はこれからあなたのために生きる。」

ローマ人への手紙12章1節。「そこで、兄弟たち、あわれみによってあなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、生ける聖なる、神に喜ばれる犠牲としてささげなさい。これがあなたがたの霊的な礼拝です。」
この箇所は、信者が自分の人生を神への奉仕として捧げるよう促しています。イエス・キリストの犠牲は、信者にとって最大の愛の証であり、その犠牲に応えるために、私たちは神に栄光を帰する生き方を選ぶべきです。この歌詞は、イエスへの感謝と応答として、自分の人生を彼の栄光のために捧げる決意を表しています。信者は、イエスの愛と犠牲に応えることで、彼の教えと模範に従って生きることを約束します。

親子ゴスペル「Tiny Steps」でもレパートリーにしています

私たちの姉妹教室「タイニイ・ステップス」でも、レッスンの初めにこの曲をいつも歌っています。