大人の為の部活系ゴスペルSatisfy My Soul(サティマイ)です。大阪中津・豊中・神戸元町・京都・博多天神・東京高田馬場・名古屋で練習しています♪

Blessed Assurance / 罪咎を赦され

和訳

賛美歌「Blessed Assurance」は、1873年の夏にフェニー・クロスビーとフィービー・パルマー・ナップによって創作されました。クロスビーは生涯で8,000以上の讃美歌を作詞した著名なキリスト教のソングライターで、この時ナップを訪れていました。ナップは才能ある音楽家であり、作曲者でもありました。ナップが新しく作ったメロディーをピアノでクロスビーに披露したとき、クロスビーはすぐに「Blessed assurance, Jesus is mine!」(祝福された確信、イエスは私のもの!)と答え、そのメロディーに合わせて歌詞を即興で作り上げました。その日のうちにこの賛美歌は完成しました​。

この賛美歌は後に1873年7月の「Palmer’s Guide to Holiness and Revival Miscellany」誌に掲載され、広く人々に愛される賛美歌となりました​。

「Blessed Assurance」はクロスビーの深い信仰心と、イエス・キリストを通じた救いに対する揺るぎない確信を表しています。

彼女は医療ミスによって生後6週間で視力を失いましたが、その後8,000以上の賛美歌を作詞するという類稀な才能を発揮しました。ファニーの創作活動は、彼女自身の盲目という経験、そして家族、特に母親と祖母の強い信仰心に深く影響されています。彼女の祖母は、失明した孫に自然の美しさや聖書の物語を熱心に語り聞かせ、ファニーの創造性と精神性を育みました。彼女はまた、聖書の多くを暗記していたことで知られています。

大きな悲しみも彼女の人生にはありました。結婚後に生まれた唯一の子どもが早世するという試練を経験しましたが、その深い悲しみからも賛美歌を生み出しました。ファニーは、自分が詩を書く才能を持っていること、そしてその才能が神からの恵みであると信じていました。そして、彼女の盲目が医師の誤診によるものであると知りながらも、その医師に対する怒りや恨みを持たず、最終的には罪悪感に苛まれ長い間身を隠して生きていた医師を探し出し、自分が盲目になったがゆえに与えられた神の恵みを伝えることで、医師も長年苦しんだ重荷を下ろすことができました。

無理やり歌詞解説

Blessed assurance, Jesus is mine;
祝福された確信、イエスは私のもの;
エペソ人への手紙 1:13-14「あなたがたも、真理である福音、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞いて、キリストを信じた後、約束された聖霊の証印を受けました。この聖霊は、わたしたちが受け継ぐべき救いの遺産を保証するものであり、神の民が完全に解放される日まで、神の栄光を賛美するためのものです。」

この歌詞は、キリスト信者が持つ救いの確信と喜びを表しています。エペソ人への手紙の一節は、信者が聖霊によって封印され、神の遺産を受け継ぐことが約束されていることを思い出させます。この確信は、信者の心に平和と喜びをもたらします。

Oh, what a foretaste of glory divine!
ああ、神の栄光を前もって経験できるとは・・!
コリント人への第一の手紙 2:9「しかし、『目に見えず、耳に聞こえず、人の心にも思い浮かばなかったこと、神が愛する者たちのために用意してくださったこと』が、神によってわたしたちに啓示されました。」

この行は、信者が天国で経験する栄光をこの世で味わうことのできる瞬間について語っています。コリント人への第一の手紙の引用は、神が愛する者たちのために用意している、目に見えず耳に聞こえない栄光について語っています。

Heir of salvation, purchase of God,
救いを受け継ぐ方、主イエスの血の代償、
Born of His Spirit, washed in His blood.
主の御霊によって生まれ、その血によって洗われる。
テトスへの手紙 3:5-7「彼はわたしたちを新たに生まれ変わらせ、聖霊によって新しくすることによって、わたしたちを救いました。これは、わたしたちの義行によるのではなく、彼の憐れみによるものです。彼はわたしたちを救うために、イエス・キリスト私たちの救い主を通して豊かに聖霊を注ぎ出しました。」

この部分は、信者が神の子としての地位を得て、イエス・キリストの血による贖いを通じて罪から清められたことを表しています。テトスへの手紙は、この救いが神の憐れみによるものであり、信者を新しい創造へと導く聖霊の仕事であることを示しています。

This is my story, this is my song,
これが私の証であり、これが私の歌、
Praising my Savior all the day long.
一日中、私の救い主を賛美する。
詩篇 34:1「わたしは主をいつも賛美します。その賛美は常にわたしの口にあります。」

この繰り返されるコーラスは、信者の生活がどのように神に対する感謝と賛美に満ちているかを示しています。詩篇の一節は、主を常に賛美することの重要性を強調し、信者が経験する喜びと感謝の気持ちを反映しています。

Perfect submission, perfect delight,
完全な服従、完全な喜び、
詩篇 40:8「わたしは喜んで御心を行います。私の心の中には、あなたの律法があります。」

この歌詞は、神への完全な服従がもたらす喜びと満足を表しています。詩篇の一節は、神の律法を心から喜んで行うことの重要性を示し、それが真の喜びへとつながることを教えています。

Visions of rapture now burst on my sight;
歓喜の幻影が今、私の視界に満ち溢れる;
黙示録 21:4「神は彼らの目から涙をぬぐい去ります。もはや死も、悲しみも、泣きも、痛みもないでしょう。初めのものは過ぎ去ったのです。」

この行は、信者が天国における最終的な救済と歓喜のビジョンを見ることを象徴しています。黙示録の一節は、天国での完全な喜びと平和、神がすべての涙をぬぐい去る未来の約束を明らかにしています。

Angels descending, bring from above
天から降りてくる天使たちが、
Echoes of mercy, whispers of love.
慈悲の響き、愛のささやきをもたらす。
ヘブライ人への手紙 1:14「天使たちはすべて奉仕の霊ではありませんか。救いを受け継ぐ者たちのために、奉仕をするために遣わされるのです。」

この部分は、天使たちが神の慈悲と愛のメッセージをもたらすというビジョンを描いています。ヘブライ人への手紙の一節は、天使たちが救われるべき者たちのために奉仕する存在であることを教えており、彼らがもたらすのは神の慈悲深い愛のメッセージです。

Perfect submission, all is at rest,
完全な服従、すべてのことが解決した時、
マタイの福音書 11:29「わたしの心は柔和で謙虚です。わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂は休息を得るでしょう。」

この歌詞は、イエス・キリストへの完全な服従と信頼を通じて、信者が真の平安と休息を見つけることができることを示しています。マタイの福音書の引用は、イエスが自らを柔和で謙虚な心の持ち主として示し、彼に従うことで魂の休息を得られることを約束しています。

I in my Savior am happy and blest;
私は私の救い主にあって、幸せで祝福されている;
フィリピの信徒への手紙 4:4「主にあっていつも喜びなさい。再び言います、喜びなさい。」

この部分は、キリストとの関係の中で見つかる深い喜びと祝福を強調しています。フィリピの信徒への手紙の一節は、どんな状況においても主にある喜びを持つことの重要性を強調し、それが信者の心に平和をもたらすことを教えています。

Watching and waiting, looking above,
見守り、待ち望み、上を見上げ、
コロサイ人への手紙 3:2「天のことを考えなさい、地上のことではなく。」

この行は、信者が天に向けて心を高め、キリストの再臨を待ち望む態度を示しています。コロサイ人への手紙の引用は、信者に対し、一時的な世のものではなく、永遠の価値を持つ天のことに心を集中するよう促しています。

Filled with His goodness, lost in His love.
神の善良さに満たされ、神の愛により「私」は隠された。

エフェソ人への手紙 3:19「そして、キリストの愛が知識を超えるものであることを知り、神の満ち満ちたすべてをもって満たされるようになるためです。」

この部分は、神の無限の善良さと愛によって完全に満たされる信者の経験を表現しています。エフェソ人への手紙は、キリストの愛が人間の理解を超えるものであり、信者がその愛によって完全に満たされることを示しています。