神の呼びかけに、全てを捧げる信仰者の歌

僕がこの曲を聴いたのは、このアルバムが発売された当初ではなく、その後に発表されたミニ・アルバム「Abbey Road Session」(残念なことに現在は廃盤らしいです)からでした。「なんていい曲なんや!」と大感動したことを覚えています。

この曲のメッセージは新約聖書の「マタイ書」「ヨハネ書」「ルカ書」などに出てくる有名なイエスと弟子との出会いの場面が歌われています。

Abbey Road Session のヴァージョンはこちら。

アルバム・ヴァージョン

歌詞和訳&聖書照会

Nobody stood and applauded them
誰も立ち上がって彼らを称賛しなかった

マタイ 6:1(NIV)
“Be careful not to practice your righteousness in front of others to be seen by them.”
「人に見せるために、人前で自分の義を行わないように注意しなさい。」

So they knew from the start this road would not lead to fame
だから彼らは最初から、この道が名声へと続くものではないと知っていた

マルコ 10:43-44(NIV)
“Whoever wants to become great among you must be your servant, and whoever wants to be first must be slave of all.”
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。いちばん上になりたいと思う者は、すべての人のしもべになりなさい。」

All they really knew for sure was Jesus had called to them
彼らが確かに知っていたのは、イエスが彼らを呼ばれたということだけだった

ヨハネ 15:16(NIV)
“You did not choose me, but I chose you and appointed you so that you might go and bear fruit.”
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るためです。」

He said, ‘Come, follow me’ And they came
イエスは言われた、『来なさい、わたしについて来なさい』 そして彼らは来た

マタイ 4:19-20(NIV)
“‘Come, follow me,’ Jesus said, ‘and I will send you out to fish for people.’ At once they left their nets and followed him.”
「わたしについて来なさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。

With reckless abandon they came
何もかも投げ打つようにして、彼らは来た

ルカ 9:23(NIV)
“Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross daily and follow me.”
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしに従って来なさい。」


この歌詞は、名誉や賞賛を求めるのではなく、ただ神の呼びかけに従った人々の姿を描いています。イエスの弟子たちは、世の成功とは異なる「召し」に応じ、無名のまま信仰の道を進みました。彼らの確信はただ一つ、「イエスが呼ばれた」ということでした。

この姿勢は、現代の私たちにも大切なメッセージを投げかけています。ときには評価されず、理解されないこともあるかもしれません。しかし、本当に価値のある歩みは、人の目ではなく、神の導きに従うことにあります。「名声ではなく使命を」、「安定ではなく信仰を」選ぶことは容易ではありませんが、その先にあるのは神の豊かな祝福と平安です。

あなたが何か大きな決断をするとき、世間の評価ではなく、神の声に耳を傾けてみてください。勇気を持って従うとき、神は必ず道を開いてくださいます。


Empty nets lying there at the water’s edge
水辺に横たわる空の網

ルカ 5:5-6(NIV)
“Simon answered, ‘Master, we’ve worked hard all night and haven’t caught anything. But because you say so, I will let down the nets.’ When they had done so, they caught such a large number of fish that their nets began to break.”
「シモンは答えた。『先生、私たちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですので、網を降ろしてみます。』 すると、そのとおりにしたとき、大量の魚がかかり、網が破れそうになった。」

Told a story that few could believe and none could explain
それは、ほとんどの人が信じられず、誰にも説明できない物語を語っていた

ヨハネ 21:6(NIV)
“He said, ‘Throw your net on the right side of the boat and you will find some.’ When they did, they were unable to haul the net in because of the large number of fish.”
「イエスは言われた。『舟の右側に網を下ろしなさい。そうすれば取れます。』彼らは網を下ろした。すると、あまりに多くの魚が入ったので、網を引き上げることができなかった。」

How some crazy fishermen agreed to go where Jesus led
なんと、数人の無謀な漁師たちがイエスの導くままに行くことに同意したのだった

マタイ 4:18-20(NIV)
“As Jesus was walking beside the Sea of Galilee, he saw two brothers, Simon called Peter and his brother Andrew. They were casting a net into the lake, for they were fishermen. ‘Come, follow me,’ Jesus said, ‘and I will send you out to fish for people.’ At once they left their nets and followed him.”
「イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられた。すると、シモン(ペテロ)とその兄弟アンデレが湖に網を投げているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう。』 彼らはすぐに網を捨てて従った。」

With no thought for what they would gain
自分たちが得るものについて何の考えもせずに

マタイ 6:33(NIV)
“But seek first his kingdom and his righteousness, and all these things will be given to you as well.”
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、それに加えて、すべてのものが与えられます。」

For Jesus had called them by name and they answered
なぜなら、イエスが彼らを名を呼んで召されたから そして彼らは応えた

イザヤ 43:1(NIV)
“Do not fear, for I have redeemed you; I have summoned you by name; you are mine.”
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」


この歌詞は、イエスに召された漁師たちの驚くべき変化を描いています。彼らはただの漁師であり、特別な知識や地位を持っていたわけではありません。しかし、彼らはイエスの呼びかけに即座に応じ、自分たちの生活を捨てて彼について行きました。

多くの人にとって、この決断は「無謀」や「理解不能」に思えたかもしれません。魚が一匹も取れなかった夜、イエスの言葉によって奇跡的に魚が大漁になったとき、彼らは何かを悟ったのです。「この方はただの教師ではない。神の御子なのだ」と。

私たちの人生にも、神が導く方向が必ずしも論理的に説明できるものではないときがあります。しかし、神の呼びかけに信仰をもって応じるなら、思いもよらない祝福と変化が待っています。


We will abandon it all for the sake of the call
私たちは、その召しのためにすべてを捨てる

ルカ 14:33(NIV)
“In the same way, those of you who do not give up everything you have cannot be my disciples.”
「それと同じように、自分の持ち物すべてを捨てないなら、あなたがたはわたしの弟子になることはできません。」

No other reason at all but the sake of the call
ほかの理由は何もない ただ、その召しのために

フィリピ 3:7-8(NIV)
“But whatever were gains to me I now consider loss for the sake of Christ. What is more, I consider everything a loss because of the surpassing worth of knowing Christ Jesus my Lord.”
「しかし、私にとって得であったものを、私はキリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主キリスト・イエスを知ることの絶大な価値のゆえに、すべてを損と思っています。」

Wholly devoted to live and to die
生きるにも死ぬにも、完全に捧げられて

ローマ 14:8(NIV)
“If we live, we live for the Lord; and if we die, we die for the Lord. So, whether we live or die, we belong to the Lord.”
「私たちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものです。」

For the sake of the call
その召しのために

2テモテ 1:9(NIV)
“He has saved us and called us to a holy life—not because of anything we have done but because of his own purpose and grace.”
「神は私たちを救い、聖なる生き方へと召してくださいました。それは、私たちの行いによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるのです。」


この歌詞は、イエス・キリストの召しに従うためにすべてを捨てる決意を表しています。弟子たちは漁網や税関の仕事を捨ててイエスに従いましたが、それは見返りを求めてではなく、「ただイエスが呼ばれたから」でした。

この姿勢は、今日の私たちにも大きな問いを投げかけます。信仰を持つことは、人生の選択を変えるほどの力を持ちます。ときに、安定した仕事や世間的な成功を手放す決断を迫られるかもしれません。それでも、神の召しに応じることは、どんなものにも勝る価値があります。

「召し(Call)」とは、神が私たち一人ひとりに与えられる使命です。それは牧師や宣教師になることだけでなく、家庭や職場、社会の中で神の愛を示すことでもあります。


Drawn like rivers are drawn to the sea
川が海へと引き寄せられるように

詩篇 42:1(NIV)
“As the deer pants for streams of water, so my soul pants for you, my God.”
「鹿が流れのほとりの水を慕いあえぐように、神よ、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」

No turning back for the water cannot help but flow
水が流れるのを止められないように、もう後戻りはしない

ルカ 9:62(NIV)
“Jesus replied, ‘No one who puts a hand to the plow and looks back is fit for service in the kingdom of God.'”
「イエスは言われた。『だれでも、鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は、神の国にふさわしくありません。』」

Once we hear the Savior’s call we’ll follow wherever He leads
一度救い主の召しを聞いたなら、どこへでも従う

ヨハネ 10:27(NIV)
“My sheep listen to my voice; I know them, and they follow me.”
「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来ます。」

Because of the love He has shown
それは、イエスが示された愛のゆえに

1ヨハネ 4:19(NIV)
“We love because he first loved us.”
「私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。」

Because He has called us to go we will answer
イエスが行くように召されたから、私たちは応える

イザヤ 6:8(NIV)
“Then I heard the voice of the Lord saying, ‘Whom shall I send? And who will go for us?’ And I said, ‘Here am I. Send me!'”
「そのとき私は主の声を聞いた。『わたしはだれを遣わそうか。だれがわたしたちのために行くだろうか。』私は言った。『ここに私がおります。私を遣わしてください。』」


この歌詞は、イエスの召しを受けた者が、後戻りせずに従い続ける決意を歌っています。川が海へと流れるように、神に召された人の心は、自然とその導きに従うものです。一度イエスの声を聞いたなら、その愛の力に引き寄せられ、もはや元の場所には戻れません。

この姿勢は、イエスの弟子たちの歩みにも見られます。彼らはイエスの声を聞き、すべてを捨てて従いました。それは、単なる義務ではなく、イエスの愛に圧倒され、それに応答する形での従順でした。

私たちも、神からの「召し」を感じるときがあります。それは、特別な使命だけでなく、日々の生活の中で神の愛を示すことかもしれません。あなたの心に響く神の声に、あなたはどのように応えますか?「ここに私がおります」と、勇気をもって応えることができますように。


ライブ・ヴァージョンもいいです(この頃の彼は映画「ゴースト」のパトリック・スウェイジに似てますね。)


投稿者

kingbee33@gmail.com

Satisfy My Soul(略してサティマイ)です。私達は2006年結成、関西(大阪/ 神戸/ 京都)、関東(東京)、中部(名古屋栄)、九州(福岡博多)の4拠点で活動するゴスペル教室です。 コンセプトは「大人の部活」歌い方を教えてもらうだけでなく「自分がどう歌いたいのか?」自分の力で少しずつ掘り下げていきます。 大人になった今だからこそ夢中になれるものが欲しい!!そう思うあなたにぴったりのゴスペルスクールです。 ♪サティマイとは?→プロフィール ♪講師紹介→講師プロフィール ♪無料体験レッスン→申し込みフォーム ♪お問い合わせはこちら ♪お電話でのお問い合わせは→0120-949-386

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