James Cleveland / ジェームス・クリーヴランド
シカゴ・ゴスペルが生んだ巨人 ― ジェームス・クリーブランド
ジェームス・クリーブランド(James Cleveland)。ゴスペルを長く聴いている人なら、一度はその名前を耳にしたことがあるでしょう。独特のしゃがれた声、教会全体を揺さぶるような力強い歌唱。そして何より、クワイアとともに歌うゴスペルをアメリカ全土へ広めていった功績から、後に彼は**“King of Gospel(キング・オブ・ゴスペル)”**と呼ばれるようになります。
しかし、その華々しいキャリアの始まりは、大きなステージでもレコード会社でもありませんでした。すべての原点は、1930年代のシカゴの教会でした。
ゴスペルの街・シカゴに生まれて
ジェームス・クリーブランドは1931年12月5日、シカゴに生まれました。当時のシカゴは、南部から多くのアフリカ系アメリカ人が移り住み、新しい黒人文化が次々と生まれていた街です。ブルース、ジャズ、そしてゴスペル。なかでも教会は、単に礼拝をする場所というだけではなく、人々が集まり、互いを励まし、苦しい生活の中でも希望を確かめる場所、そして音楽が生まれる場所でもありました。
クリーブランドもまた、信仰と音楽がごく自然に生活の中に存在する家庭で育ちます。特に彼に大きな影響を与えたのが、信仰深かった祖母でした。祖母に連れられて通うようになったのが、シカゴのPilgrim Baptist Church(ピルグリム・バプテスト教会)。この教会との出会いが、後の彼の人生を大きく変えることになります。

そこには、トーマス・A・ドーシーがいた
驚くべきことに、この教会で音楽を指導していた人物こそ、後に**「近代ゴスペル音楽の父」**と呼ばれるトーマス・A・ドーシーでした。「Precious Lord, Take My Hand」をはじめ、数多くのゴスペル作品を残した人物です。

まだ幼かったクリーブランドは、このドーシーのすぐ近くでゴスペルを吸収していきました。8歳頃には教会でソロを歌うほどになり、早くからその音楽的才能を見せていたといわれています。考えてみれば、これはものすごい環境です。ゴスペルという音楽がまさに形づくられていく時代、その中心人物のひとりから、少年時代に直接その音楽を学んでいたのです。
クリーブランドにとってゴスペルは、後になって研究した音楽ではありません。幼い頃から身体の中に染み込んでいた音楽だったのです。
もうひとりの大きな存在、ロベルタ・マーティン
クリーブランドに大きな影響を与えた人物がもうひとりいます。女性ゴスペル歌手であり、ピアニスト、作曲家、そして優れた指導者でもあった**ロベルタ・マーティン(Roberta Martin)**です。

彼女が率いていたRoberta Martin Singersは、当時のシカゴ・ゴスペルを代表するグループのひとつでした。クリーブランドは彼女たちの歌声、ハーモニー、ピアノ、そしてアンサンブルに強い憧れを抱きます。ドーシーからゴスペルの精神と伝統を学び、ロベルタ・マーティンの音楽からクワイア・サウンドやアレンジの可能性を吸収していく。後のジェームス・クリーブランドの音楽につながる重要な要素が、この頃すでに少しずつ形づくられていたのでしょう。
ピアノがない少年が弾いていた「窓枠の鍵盤」
クリーブランドの少年時代を語るとき、特に印象的なエピソードがあります。それが、**「窓枠の鍵盤」**です。当時の家庭には、本物のピアノを簡単に買えるような余裕はありませんでした。それでもクリーブランドは、どうしてもピアノを弾きたかった。
そこで彼は、自宅の窓枠にある溝や区切りをピアノの鍵盤に見立て、そこに指を置いて動かしていたといわれています。もちろん音は出ません。けれど彼の頭の中には、音楽が鳴っていました。目の前にはピアノがなくても、頭の中ではコードが響き、メロディーが流れていたのでしょう。
窓枠を鍵盤に見立てながら、「いつか本物のピアノを弾きたい」。そんな思いを抱いていた少年が、後にアメリカを代表するゴスペル・ピアニスト、作曲家、クワイア・ディレクターになっていくのです。
**「ないもの」を嘆くのではなく、「今あるもの」の中から音楽を生み出していく。**これはある意味、ゴスペルという音楽そのものにも通じているように思います。
やがて家族は苦しい生活の中からお金を工面し、クリーブランドに中古のアップライトピアノを与えました。本物のピアノを手にした彼は夢中になって練習し、教会で身につけた伝統的なゴスペルに、ジャズやブルースの感覚を織り交ぜながら、自分自身のスタイルを作り始めていきます。
10代ですでに作曲家として頭角を現す
10代になる頃には、クリーブランドは地元のゴスペル・グループで歌いながら、作曲家としても才能を発揮するようになります。そして1940年代後半、初期作品のひとつである**「Grace Is Sufficient」**が演奏され、大きな注目を集めました。
その才能に目を留めたのが、憧れの存在でもあったロベルタ・マーティンでした。彼女の助けによってクリーブランドの作品が世に出るようになり、少年時代から続いていた「教会の音楽家」としての歩みは、次第にプロフェッショナルな世界へとつながっていきます。
あの「しゃがれ声」は、最初からではなかった
ジェームス・クリーブランドといえば、何といってもあの声です。太く、ざらつき、時には今にも壊れそうでありながら、不思議なほど人の心をつかむ声。美しく整った声とは少し違いますが、一声聴けば「あ、ジェームス・クリーブランドだ」とわかる。それほど強烈な個性を持った声です。
ところが興味深いことに、彼は最初からあの声だったわけではありません。若い頃、歌い続ける中で喉を傷め、それまでのクリアな声を失ってしまったといわれています。歌手にとって、声を傷めることは大きな挫折です。
しかしクリーブランドは、失ってしまったものを嘆き続けるのではなく、その新しい声を自分の音楽として受け入れていきました。そして、その荒々しくかすれた声の中に、祈り、苦しみ、喜び、希望といったゴスペルの感情を込めていったのです。
結果として、その声は彼にしか出せないものになりました。「欠点」に思えたものが、やがて誰にも真似のできない最大の個性になる。これもまた、ジェームス・クリーブランドという人物を象徴するエピソードのひとつではないでしょうか。
ゴスペルの歴史が受け継がれていく場所にいた人
ジェームス・クリーブランドの少年時代をたどっていくと、とても興味深いことに気づきます。彼は突然現れた天才ではありません。その後ろにはトーマス・A・ドーシーがいて、ロベルタ・マーティンがいる。さらにその周囲には、シカゴの教会があり、クワイアがあり、日曜日ごとにゴスペルを歌い続けていた多くの人たちがいました。
つまりクリーブランドは、ゴスペルという音楽の「歴史の途中」に生まれ、その音楽を直接受け継いだ世代なのです。そして彼自身もまた、受け取ったものをそのまま保存するだけではなく、新しいサウンド、新しいクワイア、新しいスタイルへと発展させ、次の世代へ渡していくことになります。
代表的な作品を紹介
ジェームス・クリーブランドを知るための代表作品
ジェームス・クリーブランドの功績を知るうえで欠かせないのが、膨大な数にのぼる録音作品です。彼は単に自分の名前でアルバムを発表するだけでなく、教会クワイア、コミュニティ・クワイア、若いゴスペル・シンガー、さらにはアレサ・フランクリンのような大スターまで、さまざまな人たちと音楽を作り続けました。
その作品群をたどっていくと、クリーブランドがゴスペル界の「人気シンガー」という枠をはるかに超えた存在だったことが見えてきます。
すべてを変えた「Peace Be Still」
クリーブランドの代表作として、まず外すことができないのが1963年の**『Peace Be Still』**です。
ニュージャージー州ナットリーのFirst Baptist Churchで、牧師ローレンス・ロバーツの協力を得て録音され、Angelic Choir of Nutleyと共演しました。この作品の大きな特徴は、スタジオで整然と録音するのではなく、実際の教会で起こっている礼拝の熱気をそのままレコードに閉じ込めたことでした。
クワイアの歌声、クリーブランドの説教するような歌唱、そして会衆の反応。そこには単なる「演奏」ではなく、ブラック・チャーチの礼拝そのものがあります。
『Peace Be Still』は大ヒットし、クリーブランドを全米に知らしめる重要な作品となりました。後に数多く作られるゴスペルのライブ・アルバムを考えるうえでも、この作品は非常に重要な一枚です。
The James Cleveland Singersと広がったサウンド
1960年代には、The James Cleveland Singersとしての活動も本格化します。若き日のビリー・プレストンをはじめ、オデッサ・マッキャッスル、クライド・ブラウンら優れたミュージシャンやシンガーたちと活動し、全米各地をツアーしました。
この時期には「Heaven, That Will Be Good Enough for Me」「Two Wings」「The Lord Is Blessing Me Right Now」など、後に長く歌い継がれていく楽曲が次々と生まれています。
クリーブランドの音楽の魅力は、難解なメロディーや技巧だけではありません。何度も繰り返したくなるシンプルなフレーズの中に、信仰の確信や励ましを込めることに非常に長けていました。そのスタイルは、後のゴスペル・クワイアにも大きな影響を与えていきます。
SCCCと築いた黄金時代
1970年代以降、クリーブランドのキャリアを語るうえで欠かせない存在となったのが、**Southern California Community Choir(SCCC)**です。
彼自身が中心となって結成したこのクワイアは、壮大なハーモニーと力強いサウンドを武器に、クリーブランドの音楽を新しい時代へと押し上げました。
代表的な作品のひとつが**『In the Ghetto』**。この作品によってクリーブランドはグラミー賞を受賞し、ゴスペル界を代表する存在としての地位をさらに確かなものにします。
そして1979年の**『It’s a New Day』には、今なお世界中のゴスペル・クワイアに歌われ続けている名曲「God Is」**が収録されています。
「God Is」は、派手な展開の曲ではありません。しかし「神は私のすべてである」という極めてシンプルな信仰告白を、ゆっくりと積み重ねていきます。クリーブランドの音楽が持つ「教会で人々が一緒に歌うための力」が、とてもよく表れている作品だと思います。
さらに**『Where Is Your Faith』などの作品を通してSCCCはゴスペル界を代表するクワイアのひとつとなり、クリーブランド亡き後に発表された『Having Church』**もグラミー賞を受賞しました。
自分の教会から生まれた「Voices of Cornerstone」
クリーブランドはロサンゼルスにCornerstone Institutional Baptist Churchを設立し、牧師としても活動しました。
その教会のクワイアがVoices of Cornerstoneです。
1980年に発表された『The Voices of Cornerstone』には「Jesus, Lover of My Soul」などとともに、Clark Sistersのトゥインキー・クラークが書いた**「A Praying Spirit」**が収録されています。
翌年には『My Expectations』も発表されました。
このシリーズのおもしろいところは、世界的なゴスペル・スターとなったクリーブランドが、最後まで「教会のクワイア」という場所を音楽の中心に置き続けていたことです。
大きなコンサートホールに立つようになっても、彼のゴスペルの原点はあくまで教会でした。
アレサ・フランクリン『Amazing Grace』
ジェームス・クリーブランドの名前を一般音楽ファンにまで広く知らしめた作品のひとつが、アレサ・フランクリンの**『Amazing Grace』**です。
1972年、ロサンゼルスのNew Temple Missionary Baptist Churchで行われたライブ録音に、クリーブランドはピアノとクワイア・ディレクションで全面的に参加しました。
当時すでに「Queen of Soul」として世界的なスターだったアレサが、自らのルーツである教会へ戻り、ゴスペルを歌う。その場を音楽的に支えたのがクリーブランドでした。
『Amazing Grace』はゴスペルの歴史を語るうえで欠かせない名盤となり、教会音楽だったゴスペルを、それまで以上に広い世界へ届ける役割を果たしました。
そしてこの作品を聴くと、クリーブランドが単なる歌手ではなく、歌い手、クワイア、会衆、そして礼拝空間全体を音楽としてまとめ上げるディレクターだったことがよくわかります。
カーネギー・ホールでも「教会」を作った人
1970年代後半には、ニューヨークのカーネギー・ホールでもライブ録音を行っています。
**『James Cleveland Live at Carnegie Hall』**では、バリー・マニロウのヒット曲「I Write the Songs」をゴスペルとして取り上げるなど、伝統だけに縛られない柔軟な選曲も見せています。
クラシック音楽の殿堂ともいえるカーネギー・ホールであっても、クリーブランドが音楽を始めれば、そこはいつの間にかブラック・チャーチのような空間になっていく。
それこそ彼のライブの最大の魅力だったのでしょう。
「Lord, Help Me to Hold Out」「I Don’t Feel No Ways Tired」
クリーブランドの作品には、特定のクワイアと長く活動するだけでなく、全米各地のさまざまなクワイアと録音したものが数多くあります。
Donald Vails Choraleers、Harold Smith Majestics、New Jerusalem Baptist Church Choirなどとの録音からは、現在ではゴスペル・スタンダードとなっている楽曲が数多く生まれました。
その代表が**「Lord, Help Me to Hold Out」や「I Don’t Feel No Ways Tired」**です。
どちらも、人生の困難の中で「もう少しだけ持ちこたえたい」「神はここまで私を導いてくださったのだから、途中で見捨てるはずがない」と歌う曲です。
こうした歌を聴くと、クリーブランドのゴスペルが多くの人に支持された理由がよくわかります。
彼の曲は、神学を難しく説明するのではなく、苦しい日常を生きている人が、そのまま自分の言葉として歌えるゴスペルだったのです。
Charles Fold Singersとの名盤
1970年代末には、シンシナティを拠点とするCharles Fold Singersとも共演しました。
その代表作が**『Lord, Let Me Be an Instrument』**です。この作品も高く評価され、クリーブランドにグラミー賞をもたらしました。
一つの固定クワイアだけでなく、その土地にあるクワイアと組みながら、それぞれの個性を引き出して作品を作る。このスタイルもクリーブランドならではでした。
晩年まで続いた新しい才能との交流
1980年代後半になっても、クリーブランドは決して過去の成功に留まりませんでした。
**『Breathe on Me』**では、後のゴスペル界を代表するシンガーとなるDaryl Coleyや、プロデューサー、クワイア・ディレクターとして重要な存在となるMilton Bigghamらとも共演しています。
また、自ら立ち上げた**Gospel Music Workshop of America(GMWA)**の録音にも積極的に参加しました。
1989年にニューオーリンズで行われた年次大会を収録した**『GMWA New Orleans』**は、クリーブランドがGMWAと残した晩年の重要な記録です。
音楽を残すだけでなく、「次の人」を残した
クリーブランドは1980年代に自身のレーベルKing James Recordsも立ち上げました。
そこから自身の作品だけでなく、ビリー・プレストンのゴスペル作品や、Los Angeles Gospel Messengersの『Praise ’88』など、他のアーティストやクワイアの作品も世に送り出しています。
ここに、ジェームス・クリーブランドという人物の本当の大きさがあるように思います。
彼は自分だけがスターになろうとした人ではありませんでした。
教会を作り、クワイアを作り、GMWAを作り、レコードを作り、若いアーティストにチャンスを与える。
つまり彼が残したものは、名曲やアルバムだけではありません。
「次の世代がゴスペルを歌い続けるための場所」そのものを作ったのです。
だからこそジェームス・クリーブランドの名前は、彼の死後もゴスペルの世界から消えることがありません。
『Peace Be Still』『God Is』『I Don’t Feel No Ways Tired』――。
その一曲一曲の向こう側には、歌を作るだけでなく、人を育て、クワイアを育て、ゴスペルという文化そのものを次の時代へ渡そうとした、ひとりの音楽家の姿があります。
投稿者
kingbee33@gmail.com
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