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AMAZING GRACE  アメージング・グレイス歌詞

アメージング・グレイス

 

私たちは過去に幾つかのアレンジでこの曲を歌ってきました。

今シーズン歌うアメージング・グレイスはその中でももっともシンプルでベーシックなものです。バックもピアノとオルガンのみ。メロディやハーモニーにほとんど装飾的なものを加えないがゆえに、今までのコンテンポラリー・ゴスペルのようなわかりやすい場面展開に頼らない、本当の意味での「フィーリング」による表現力を必要とします。

今回の私たちの歌うバージョンの歌詞はVERSE3まで。本来はVERSE7まであるようですが、このたびは場面を「現在」「過去」「未来」にわけた形で演出したいのでVERSE3までを選択しました。

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような罪深い者までも救ってくださる
かっては迷いの中にいたが、いまははっきりとわかる。
今まで見えなかった神の恵みを今は見出すことができる

‘Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

恐れに支配された私の心を舞の惠みこそが諭し
その恐れから心を解き放ってくれた
信じる事を始めたその時の神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
‘Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私はいつもそれを乗り越えることができた。
神の恵みはこれまでも私を守ってくださって、これからも私を正しい場所に導いてくれるだろう。

私がいつも生徒さんにレッスンで伝えていることがあります。英語の歌を歌うとき、訳すことはとても大事なことだけど、だからといって言葉に操られないようしてください。

全ての行、すべてのワードに感情移入するということは作者にしかできないと私は思っています。歌詞は「俳句」ではありません。俳句はそこにチョイスされた「単語」や「描写」を一言ひとこと大切に味わうのが楽しみですが、歌詞は17音に凝縮されたものではなく、言葉としては膨大です。全ての歌詞が目や耳から入ってきたときに最後に残るしっかりとした「イメージ」こそが歌手にとって大切なものだと思います。

私の場合は2番(青色の部分)にある「恐れと向き合うことを教えてくれた」という部分が、私個人にとっては過去の体験とも重なり、とても共感できるものです。とても有名な1番の歌詞よりも、私の心に響いたのはこの2番の歌詞ですし、逆に言えば2番があるからこそ、1番のテーマが歌いやすいのです。また2番で歌う「過去」がしっかりとした風景を作るから、3番の「未来」への確信につながるし、1番の「現在」を歌う根拠が生まれます。

ちょっと硬い書き方をしてしまいましたが、要は歌い手それぞれが歌詞に書かれる沢山の言葉の中から、「自分の為に用意された」と思われる箇所を見つけて、そこを中心にして前後の歌詞を心の中で自分流に解釈しながら意味づけしてほしいと思っています。

歌い手ひとりひとりがしっかりと自分の風景や、心の置き所を持ったゴスペル・グループは、同じ歌を歌っていても曲の中に「うねり」を生み出すことができます。なぜならみんなそれぞれ大事なものを持っているし、価値観やフィーリングは同じではないから。

誰かが書いた「歌詞」を「そのように思わなければいけない」のではなく、「自分はその歌詞から何を感じ、何を学び、そしてどのようなものが新たに自分から生み出されるか」が大事です。

「自分が誰であるか?」

私にとっての「アメージング・グレイス」はそれを私に教えてくれた神の恵みを歌ったものです。

 

 

My マイクを持とう!

ゴスペル・クワイア「Satisfy My Soul」では、数々の人前で歌う機会が用意されています。

きらびやかな照明のあるプロ仕様の大きな舞台もあれば、教会の礼拝堂もあり、または病院や老人ホーム、商店街や町おこしのお祭りなどで野外で歌うこともあります。

ほとんどのステージでは、私たちはマイクを使ってパフォーマンスをするわけですが、ヴォーカリストになりたての頃はステージの上でこのマイク・ワークがうまくできなくて苦労するものです。

たとえばよくある失敗としては、マイクの角度や距離が不適切で声が上手く入らなかったり、また本番前のサウンド・チェックなんかでマイクが入ってるかどうか確認するときに、よく政治家のオッサンがやるようにマイクを叩いて音響さんに叱られたり、床置きのモニター・スピーカーに不用意に近づけてしまって「キーーーン」と大音響でハウリングさせてしまったり・・・。

まあこんな失敗は誰もが初めの方はやってしまうし、それで注意されて覚えていくものではありますが、ライブハウスの経営者やイベントの外注の音響さんなんかは高価な自前の機材を何も知らないような素人さんに適当に扱われて、運が悪ければスピーカーが飛んだりマイクがぼこぼこにへこんでしまうのですからそりゃあ怒りたくなる気持ちもわかります。

まあ怒られるだけで済めばいいのですが、マイクや機材の使い方も知らないと思われた段階で、音響さんにしてみれば「素人のままごと」に一日付き合わされるということが決定したようなものなので、当然プロを相手に「いい作品をともに作ろう」という熱い思いも根こそぎ失い、適当な音つくりで「とにかく早く終わらせてとっとと飲みに行こう」みたいな気分になる場合もあります。

受講生の皆さんには、いつもレッスンで「歌の練習をきちんとするなら、ちゃんと吸音材の入った音楽スタジオを個人練習で借りて、マイクを通した音をスピーカーから出して練習するべき」と言ってます。でも実際はこの手間と時間、お金をケチってしまい、車の中やお風呂、リビングなどで済ませてしまう方が多いのではないでしょうか?「ちゃんと歌えるようになったらスタジオに入ろう」みたいに先延ばしにして、実際にスタジオで練習するのはライブの直前。そして歌いすぎて声がガラガラみたいな・・。

前述のマイク・ワークの失敗、そしてスタジオ練習の不足。それを解決するための近道として、僕がみなさんに提案したいのは「マイ・マイクの購入」です。そこらへんの大手家電ショップのオーディオ・コーナーのオーディオ・ケーブルの陳列棚の下の方にぶら下がってるカラオケ用マイクではありません。箱に「高音質・プロ仕様」と書いていても買ってはいけません。作りが全然違いますから。

いっぱしの歌を人前でしっかりと歌いたいのであれば、ライブ・ハウスやホールなどで使われているちゃんとしたステージ用のマイクを買いましょう。

ステージで一番見かける無難なマイクとしては、SHURE社のSM-58というモデルではないかと思います。これはヴォーカルに特化した単一指向性ダイナミック・マイクロフォンとしては永遠のベスト・セラー機種。もっともポピュラーなものです。

日本のゴスペルの世界は女性が大半ですが、僕個人の見解ですけど、一般的なアルト・ソプラノの音域の方には同じSHURE社のBETA-58Aというマイクがおすすめです。SM-58と比べて音圧が高いのと高音域のヌケがよいこと。あとハウリングしにくいので女性ヴォーカル向けだと思っています。

あと価格も高価になりますが、バラードなどでより繊細なタッチを表現したい方には、ハンド・ヘルド型コンデンサー・マイクもおすすめです。コンデンサー・マイクは主にレコーディングなどで使用されるものですが、このモデルはライブ向けに開発されており、つぶやくようなバラードを歌った時の繊細な抜けは本当に気持ちがいいです。定番としてはSHURE社のBETA-87Aでしょう。(これに関しては普通にミキサーに繋いだだけでは音は出ません。なぜ出ないかはあえて説明しません。繋いだあとに1プロセス必要です。これはスタジオで経験して覚えた方がいいと思います。その経験は必ずライブ会場で役に立ちます。)

決して安い買い物ではないと思いますが、でも高価なマイ・マイクを持てば、誰でもやはりそのマイクをミキサーにつないで大きな音で使ってみたくなるはずです。おのずとスタジオに行って練習したくなるでしょう。

また自分たちがステージで使わせてもらってるマイクも、同じようにライブハウスや音響さんがお金を出して買った大切な機材であることが実感できるので、むやみに叩いたり、床に落としたりということもできなくなると思います。

そして最後に、これこそが「マイ・マイク」の最大の効果だと思いますが、「ヴォーカリストとしての自覚」、プロのパフォーマーとしての意識の向上、歌に対するモチベーションが格段に上がります。とにかくいいマイクを使えば、単純に上手くなった気がしますし、またもっとうまく歌うための探求心があがります。

いつも言ってますが、ヴォーカリストは「本気」になるより、「その気」になる方が大事です。

本気になったところで、今までの技術を使って一生懸命歌うだけですが、その気になりさえすれば、今まで使ったことのない声や技術が潜在能力から引き出されます。

ちょっぴり高い買い物ではありますが、飲み会を何回か家飲みに変えればいいだけのことですので、ぜひぜひやってみてください!!将来の自分に投資するつもりで!!!

キング牧師の言葉

「最初の一歩を踏み出しなさい。たとえあなたが、階段のすべてが見渡せない場所にいたとしても、ただ目の前の一段を上がりなさい。」

キング牧師の言葉はとても心に響きます。その中でも僕が好きな言葉の一つがこれ。

人種差別撤廃をかかげて彼が市民とともに挑んだ「公民権運動」は、決して平たんな道のりではなく、多くな困難や妨害を乗り越えたうえで成し遂げられました。彼自身も何度も心がくじけそうになったと述懐してますが、そんな時は神に祈り、すべての結果を神に委ね、ただただ自分は目の前の一歩を踏み出すことだけ考えていたそうです。

私たちのゴスペル教室に来られる方のほとんどの方が、たくさんのやるべきことを日常に抱えておられます。お仕事、子育て、家事、家族の介護など、さまざまな事情をお持ちの中、それでも歌を歌いたいという人が集まっています。そのなかには「自分には十分な時間がない」と感じている人も少なくありません。

「歌詞を覚える」+「メロディを覚える」+「歌い込む」

ちょっと大まかですけど、時間がないことを言い訳にしてしまう人は、このすべてをやる時間が取れないから=「出来ない」という考えになりがちで、その結果、歌えないストレスから仕事や家族、そして自分の置かれている環境に不満を持つことになってしまいます。

でも、歌い込む時間は取れなくても歌詞を覚えることはできますし、電車で曲を聴きながらメロディを覚えたり、曲のイメージを作ることも可能です。どっちにしても通らなければいけないプロセスなのですから、どれか一つでも片付ければよいのです。

全体像を見すぎて、良い結果を出すことにこだわりすぎると、その環境が整っていないことばかりが気になってしまいます。

でも僕は心で思っています。「でも時間ができてもやらんやん」「旅行行ったり、飲みに行ったりいっぱいしてるやん!」

これは、「そんなことしてる暇があったら練習しろ!」という意味ではありません。時間があれば旅行も飲み会もやったらいいんです。人付き合いとかも大事ですし、何より息抜きは必要です。

だからこそ、普段の移動や合間の時間に何行かでも歌詞を見たり、メロディを耳に入れておく癖をつけたらいいんだと思います。「これしかできない」と言って投げだすのではなく、「これならできる」というとらえ方をすれば、意外といろんなことが片付くし、その訓練さえしておけば、どんな状況でも常に前に進める自分が出来上がってきます。

キング牧師の崇高な精神と、僕たちの怠惰な日常を並べて書いてしまいましたが、それもアリかな~と思いつつ・・・。

レッスン・レポ ゴスペル大阪・梅田 2.18土曜日クラス

2017年2月18日(土曜日) 参加者29人 担当講師・・芦原

肩もみ・発声練習

前半・・1月からの曲のおさらい・・Byron Cage Medley ( Byron Cage ), Lean On Me ( Kirk Franklin ), Revive Us Again ( The Anointed )

2月26日(日曜日)の守口高齢者ホームでのボランティア・ステージにむけて、曲調に合わせた音色や表情、体の動かし方などを再確認。

後半・・Speak Life ( Joe Pace )

歌詞の説明(エゼキエル書37より)、パート別に全員で歌う。リズムの感じ方(3拍子ではなく跳ねた6/8拍子)を確認。フレージング単位→音単位まで音色や音量の調整を指示。

最後は非常にいい感じに変わりました。歌詞とメロディを覚えてからが勝負です!!

 

ゴスペルの起源・・霊歌とブルース

まだこの世に「ゴスペル」が誕生する前、アフロ・アメリカンが奴隷として苦難の日々を過ごしていた時、黒人霊歌以外に、まったく宗教性とは関係ない日々の暮らしを歌った歌(俗歌)の存在がありました。

それは自分たちの日常をそのまま表現したものであり、苦役を少しでも紛らわそうとした「ワークソング」(労働歌)であったり、日々の苦しみを綴った歌「ブルース」などです。これらは教会で歌われる神への感謝とはまったく無縁のものでした。

でもここでひとつ忘れてはいけないことがあります。黒人霊歌はキリスト教の讃美歌をベースにしたものですが、彼らがたくさんある讃美歌の中から選んだ歌の多くは「天国への希望」を題材にしたものであったということです。勘の鋭い人はお気づきだと思います。ブルースで歌われている嘆きは、まぎれもなく現世に対する嘆きです。そして彼らが霊歌の中で歌う喜びは現世のものではなく、死後天国に行った後で共有できる喜びです。共通していることは、彼らは「現世」に対して、何の希望も持てていなかったということ。「いまを直接的に嘆く歌」と、死後の希望を歌うことで間接的に「現実から目をそらす歌」という解釈もできます。双方に横たわっているものは「現実への悲しみ」です。

ゴスペルの父と呼ばれる「トーマス・ドーシー」が、もとはアンクル・トムという名前で非常にきわどい歌詞のブルースを歌っていたことは有名です。ブルース界のスターであり、もっとも世俗的な人によって「ゴスペル」という音楽がこの世に作り出されたからこそ、いま私たちはそのメッセージの「生々しい力強さ」に心を打たれるのではないでしょうか?